大学進学を決め、将来を見据えて学業のかたわら音楽スキルを身につけようと意気込んでいた私だったが、実は進学を選んだ理由は前向きなものだけではなかった。
経済力のない子供が進路を決めるうえで、避けては通れないのが親との話し合いである。私は、本当の目的を話さなかった。シンガーソングライターになる夢のために下積みとして部活でステージ経験を積みたい、だからこの大学がいい。そんな動機で許されるはずなどないと思った・・・もちろんそうでもある。
だがそれ以前に、心を開けなかったからだ。
これは、一見前向きで、良い方向への変化と思える進路選択の、ちょっとした裏の物語。
「家族に心を開けないってどんな状況よ」と思う?
少しだけ、過去の話をさせてほしい。
小学生の頃、友人関係に少し問題があり、人に本心を明かすことへの恐怖を抱いていた。何かにつけて馬鹿にしたり、気に入らないと暴力を振るったりしてくる同級生がおり、自分の部屋の机の中を無理やり覗かれ、心を暴かれて恥をかかされるという、屈辱的で怖い思いもさせられた。(詳しくは第一話で述べている)
そこから人というものが怖くなって、友人にも家族にも心を開けなくなったという経緯がある。
いやいや、せめて家族の前くらいでは本当の自分でいられるでしょ?友達にひどいことをされたからって家族にまで心を閉ざす理由があるの?
そういった声が聞こえてきそうだが、家族といえども異なる人間同士の付き合い。無条件に分かり合えるような甘いものではない。
弱者は自己主張を慎み、力ある者に従うことで心身を守れ。そう私に教えたのは、友人だけではなかった。
一応誤解を生みたくないので言っておくが、すべて私一人の心の問題であり、つらい思いをしたというのも子供時代の私の解釈にすぎない。「自分は過去、こう思った」という単なる古い事実であるだけで、家族から故意に嫌な思いをさせられていたわけでは一切ないので、何卒ご理解を。
無理したくもないし、笑いたくもないんだけど、それでは許されない。
小学生の頃、私はよく親から「無理をしてでも笑え」と言われていた。機嫌が悪そうな人がいると家庭の雰囲気も悪くなるという、まあだいたい正論かなと思われる教えだ。
実際、私は笑顔が少ない子供だったと思う。しかしそれにも理由がある。私にとって家での時間は、学校でのつらい時間を耐えきってやっと解放される貴重な時間だったわけで、少なくとも帰宅後は、すべてから解放されて素顔でいたかった。
家でしか顔を合わせない家族から見れば、常に浮かない顔をしていることが気がかりだったのだろう。社会に出て人に迷惑をかけないように、子供のうちから心配して言ってくれていたのだと思う。
だが子供だったがゆえに私は彼らの心配を理解できず、学校でも嫌なことがあるのに、家でも気を抜けないということが重荷になってしまっていた。
家にいたら、機嫌が悪くなくてもただ笑っていないというだけで悪者のように扱われてしまう。その状況で、本当の気持ちを殺して笑顔をつくるという行為は、大人であっても厳しいものがある。
ましてや、当時は小学生、心が発達しきっていない子供だ。私が課せられたものは、重く厳しい難題に感じられた。
結局、家での時間も憂鬱なものになり、私は余計に笑えなくなって親に叱られる回数も増える、そんな悪循環にはまっていった。
さすがに一方的すぎて、耐える方が無理だった。
ある時、笑わない私への苛立ちがピークに達したらしい。
「家で機嫌を良くすれば損すると思っているのか」という言葉を放たれた。
―――なんで、そこまで言うの。
もちろんそんなつもりは全くなかった。どこにいても心を開放することができない毎日に私も疲れており、とても笑えるような心境ではなかっただけである。しかし、そんな言い訳は文字通り子供じみたものだったようだ。
冷静に考えると、常に笑い顔でいる人間などいるだろうか。機嫌が良くたって、必ず無表情の時はある。それを全て「機嫌が悪い人間の顔」として見るのは、私は明らかに違うと思っていた。それでも、もはや私の顔は、機嫌の良し悪し関係なく、無表情であるだけで逆鱗に触れるものだったらしい。
小学生の私にとって、一番わかってほしい存在である親から言われてしまったこの言葉は、あまりにも過酷でつらすぎるものだった。きっと親はわざと傷つけるつもりはなく、たまたま苛立って言ってしまっただけなのだろうと思う。
それでも、その時に限っては明らかに私を嫌っているような敵意を感じてしまい、言葉のナイフが深く心に刺さるようだった。
ああ、この家で私は悪者なんだと、心に刻まれてしまった。
私は、私でいることを許してもらえない。私の本音は迷惑になる。迷惑な私の存在は害。
これ以上の迷惑をかけて捨てられでもしたら、生きていけなくなる。ここで生かしてもらうためには、本音は何があっても殺すべきであるらしい。
10歳程度だった私は、そう学んだ。
見えないところで傷つき、閉ざされる心。
直接何かされたわけではなくても、間接的に受ける傷というものもある。
TV番組などを見ながら、出演者に対して画面越しに批判や罵倒をする人は多い。誰でも万人に好かれるわけではないので、人気者であっても一定数の人たちから否定的な感情を持たれるのは、ごく自然なことだと言える。
だけどもし、自分の好きな人や応援している人が目の前で悪く言われたらどうだろう。誰がTVに出ていても常にけなし言葉ばかりが飛んでいたら、どうだろうか。
少なからず嫌な気持ちになり、自分も同じようにけなされるのではないかと不安を抱く人もいると思う。
そのような体験が、私にはある。
家族と一緒にTVを見ていると、ほぼ毎度否定的な言葉が聞こえてきた。
あの人はここがおかしい、面白くない、下手くそな歌、わけわかんない、バカみたい、醜い・・・
など。面白がって冗談のように言っている時もあれば、本気で軽蔑する調子の時もある。
そして、私の好きな人や興味を持っていた人も、容赦なく罵倒されていた(本音を殺すことを学んでいたおかげで、誰が好きだとは口に出しておらず家族には知られていない)。
私は、ひそかに心を痛めていた。自分が大事に思っているものを傷つけられるのはもちろん辛い。
だがそれ以上に、好きな人でなくても、一生懸命になっている姿をけなされることがショックで仕方なかった。
私が何かを一生懸命やっても、同じ目に遭うのだろうか。私自身も批判のアンテナに引っかかることがあれば、彼らのようにけなし言葉を浴びせられてしまうのだろうかと、不安と恐怖心が日に日に高まっていった。
夢を持ってからはなおさらである。私のやろうとしていることは、バカみたいで、わけわかんなくて、おかしいもので、無価値とされてしまうのではないかと恐れ、間接的に傷ついていた。
それから私は、間違っても本気で好きなものを家庭内で口走るようなことなどできないと思うようになった。
自力では手に入らない欲しいものがあっても、親が良しとしたもの以外は、望むそぶりを見せてはいけない。何を選ぶにしても、迷惑がられない、深入りもされない、自分も傷を負わない、相手の機嫌と自分の心を守る選択が最善だと。一番が受け入れられる確証がなければ、一番でなく無難な二番目以下を主張しておこう、と。
心の安全を保つためには、なにもかも当たり障りないものにする必要がある。「気に入らない」という地雷を踏み抜けば私は心に傷を負う。当たり障りあってしまってはいけないのだ。
私は自分の心を守りたい思いで、本心を隠していくことを決めたのであった。
強い意志の裏側は、弱くて、汚かった。
家族に心を開きたくなくなってしまったことに大きく影響した出来事は以上であるが、先に述べたように、あくまで過去の私が自ら苦しい方へ解釈してしまったというだけの話である。悪口を言ったわけでもなければ、今でも同じ思いをし続けているわけでもない。
もし批判をするなら私だけにして、どうか親のことは悪く思わないでほしい。こんな、心を開かない娘相手に大変苦しかっただろうに、どんなときも私を見捨てることなく育ててくれた、かけがえのない大切な家族なのだから。
ただ、子供の私にとってはつらい状況に追い打ちをかけられるような試練だったため、耐えがたい傷を負ってしまったということを、誰かひとりくらいにはわかってほしいと思う。
そんなわけで、あの進路選択に至った。将来に備えて音楽の下積みをしつつ教養をつけて高収入の仕事にもつなげられる、表向きはどこまでもポジティブな動機の大学進学。
だがその主張は、傷つきたくないという保身からくるものであった。
本当の望みは言わず、無難なことを本心であるかのように主張し、進学して学びたいことがあったのは本当なので嘘などついていない、と自分を正当化してさえいた。嘘でなくても、結局は一番の目的ではないため口実にすぎないというのに。
さらには、お金は稼ぎたいけど就職して仕事ばかりに時間を割きたいとも思えない、就職は避けたい、だから進学・・・という消去法のような気持ちまであった。
親と衝突せず、本心を打ち明けるような深い会話もせずに済み、やりたくないことを回避して望みも叶えられる「全取りルート」を考え抜いた結果、たどり着いた「当たり障りない選択」だったのだ。
その気になればきっと、自分の意見を押し通して、何を言われようと気にせずフリーターでもしながら音楽の下積みをすることだってできた。しかし、つらい思いをしたくない、自分を守れる方を選びたいという弱さに勝てなかったのである。
私は、大学へ「逃げた」だけであった。
それでも、心を開けない中、口実をつけてでも本当にやりたいことができる道を選択できた。それだけでも、よくやったと自分では思う。
やり方も思考も汚かったかもしれないが、本心を殺さず、生かす方を選べたことは、立派な成長だと思いたい・・・。