どんな目に遭っても
どんな苦しみがこの先待ち受けていても
この道でないと
嫌 だ ―――
22歳晩夏、鹿児島県でようやく相方との初対面を果たし、地元へ戻ってからの私の行動意欲は格段に増した。
お互いが会える距離にいて、共に歌い、夢の話を電話やチャットの文字でなく肉声で語り合う。そんな、長年待ち望んでいた時間を実際に過ごしたことで、夢は努力で実現できると身をもって知ったからだ。
相方と音楽活動をしていく未来がもう目前に迫っている、ついに長い苦労が報われて一番欲しかったものが手に入ると思うと、エネルギーがどんどん湧いてきて何でもできてしまえるようだった。
デュエットに挑戦しよう。
北海道へ帰ってすぐ相方と今後について話し合い、二人で歌うことに慣れておくためにデュエット用の楽曲を練習して、次回会ったときに合わせてみないかと提案を持ちかけた。
個人のスキルアップももちろん大事だが、お互いの声が耳に入ってくる状態で違う旋律をそれぞれ歌うのはやはり実戦での慣れが必要である。パートナーの歌う音につられてしまう人もいるため、個々の歌唱力が高いだけではうまくいかない場合も多い。
幸い、相方の歌を生で聴いたところ音はほぼ外さないし、アカペラでも原音で歌えるレベルだったので音とりは心配なさそうだった。
相談の結果、既存の簡単なデュエット曲と、相方が作詞し私が作曲したオリジナル曲の二つを合わせられるようにしておくことを次の目標に設定した。
一応オリジナル曲は初対面の日に合わせられたものの、二人で同じパートを通しで歌っただけで、ハーモニーや各々のソロパートを織り交ぜて作り込まれたデュエットには至っていない。近い将来のため、もう1ステップ上に行きたい。既にパート分けの構想は練ってあったので、私が仮音源を作って相方にあらかじめ郵送し、覚えておいてもらう約束をした。
ちなみに、練習することになった既存楽曲の方は「恋のバカンス」だ。歌を少しかじったことがある人なら分かると思うが、音感があればわりと簡単に合わせられるため比較的難易度は低めであり、高音・低音それぞれのパートの楽譜や音声もおそらく出回っている有名な曲なので、練習にも不自由しない。個人練習をしっかりすればぶっつけ本番でも問題なく歌えるだろうという理由での選曲であった。
君がいるから、私は頑張れる。
次の対面では、相方と二曲のデュエット。
またひとつ、やりたかったことが叶う道筋が見えて、より一層力がみなぎるのを感じた。再会の日に向けて今まで以上に努力していようと互いに誓い、私は私の住む場所でさらなるレベルアップに励む日々を過ごしはじめた。
稼ぎも増えて懐に余裕ができ始めたので安く利用できるカラオケに一人で月何度か通い、苦手な音域が多用される曲をひたすら歌い込んで歌声の安定に力を入れたり、知り合いの伝手で参加させてもらえるようになった音楽イベントで、歌好きの同世代たちとその場限りのコーラスユニットを組んで出演したり。個人・ユニットどちらのスキルも伸ばしつつ、着実にステージ経験も重ねて場慣れしていくことを意識して下積みを続けていった。
今頃相方もきっと頑張っている、もっと進化した彼女とデュエットできるのは最高に刺激的で楽しいに違いない、この先に幸せが待っているんだと、未来に期待を膨らませながら。
他にもiPodを買って好きな音楽を持ち歩き、ただ楽しむ目的ではなく勉強のために聴き込むようになった。作曲力も磨きたかったので、プロが作る楽曲のコード進行や楽器の鳴らし方などを注意して聴くことで知識として吸収することにしたのだ。
ピアノやギターなどの楽器を覚えるべきか悩んだが、時間をかけてやっと一つ習得するよりは、複数の楽器の使われ方を覚えて打ち込みで音源を作れるようになってしまった方が表現の幅も広がるし、音感だけはとりあえず備わっていた自分にとってコスパが良いと判断した。
そうして私は移動時間も有効活用し、作る方の力も徐々につけていった。余談だが、現在の打ち込みでの作曲スタイルはここで確立されている。何にでも手を出すとどれも中途半端になると思い、楽器の習得は思い切って捨てたのだ。この先どうしても必要になった場合は練習するかもしれないが。
何を失っても、すべては夢のため・・・
もうひとつ、私は大きな決断を下さなければならなかった。仕事の退職である。
元々は短期契約のアルバイトだったが、期間終了直前にして急な欠員が出たために私は無期限の雇用に加えて正社員になった。
不運なことに、その後なかなか新しいスタッフの応募が来ず、求人募集開始から半年近く経ってようやく後輩が入ったと思ったら、入れ替わるようにベテランがまた一人辞めていってしまうという事態になり、私はすっかり退職のタイミングを失っていた。
どうにか二度目の欠員補充はすぐにできたのだが、新人率が高くなったせいで仕事に慣れている人間がいないと多忙な時はどうしても回らない(私も所詮は入社1年足らずなのでそこまで頼りになるわけでもなかったが)。
同僚たちの負担を顧みず自分一人の都合を優先しきれなかった私は、「今辞めるのはいくらなんでも気が引ける」という状況をしばらく続けてしまっていた。
だが、私にも自分の人生がある。同情で仕事を続けていれば周りは助かるし、自分自身の信頼にもつながって居心地は良いかもしれないが、私の生きる目的はあくまで音楽だ。
思わぬ足止めを食らって多少予定は狂ったが、収入が大幅に増えて貯金もかなりハイペースで貯まっており、これ以上、夢の実現を先延ばしにしたくもない。
思い切って、後輩たちが仕事をだいたい覚えてきたころを見計らい、退職を願い出た。予定よりも1年遅い、就職した次の年の秋ごろであった。
就職難の時期だったこともあり、[会社を辞める=悪]といった世間の認識はかなり強く、親や上司たちは当然良い顔をしなかった。それでも、憧れた夢のためならどんな目を向けられようと、どんなに批判されようと、耐えることなどたやすいもの。
身近な大人たちを敵に回しても、私には「やり遂げた」という達成感の喜びしかなかった。
待ちわびた再会の直前に。
仕事を辞める意志を会社に伝え、退職予定日の二か月ほど前のこと。
退職後にまた鹿児島へ行くと相方にはかなり前から伝えており、ついにその時が迫ってきたということで再会の日にちを決め、遊びの計画を立て始めていた。今回はもう仕事のことは気にしなくていいので、前回より少し長めに滞在することにした。
会う時におそろいの服を着たいという相方の提案で、二人同日に通販で購入し、届いた時には試着した写真を送りあったりなんかもしながら、私たちはただただ再会を楽しみに待っていた。
しかし、そんな幸せなやりとりの数日後、事態は急転する。
相方からLINEではなく、珍しくEメールが一通届いた。普段とは違う形式で送られてきたメッセージに、何か重大なことを言われるような嫌な予感がして、やや緊張しながら開封する。
そこには ―――
「ユカ。
大事な話がある。
検査したら、
妊娠してたぁ。」
突然の衝撃発言。
脳が完全に機能を停止したと思った。九年ほど経った現在でも鮮明に思い出せる、強すぎた衝撃。言語を読み解く能力が失われたと思う程に、意味を理解しきれない。
そんな爆弾発言に続いて、産みたいと思っていること・子どもを持っても私との音楽は続けていきたいということ・それでも今まで思い描いていたような活動はできなくなるかもしれないので、自分とデュオを組むことを考え直してもいいということが綴られていた。
とりあえず文字は全文読めたが、内容までは処理しきれないまま、最初の報告をゆっくりと噛み砕いていく。
―――妊娠 って、あの妊娠か。子どもが、おなかに宿るというアレのことか。
ということは、あの子は母親になるのか。確かに長く付き合っている彼氏はいたが、今後どうするつもりなのか気になって尋ねたら、結婚の願望や予定はまだないと言っていた。
それなら、予期せず妊娠してしまったということか―――
ここまで理解が追いついた瞬間、軽はずみに思える行為と相方である私への配慮のなさに、怒りと悔しさが入り混じった感情が腹の底から沸き上がる。私がどんな思いで、どれだけのものを犠牲にしてそっちへ移り住もうとしているか、同じ夢を追う人間ならたやすく想像できただろうに。
「へぇそうなんだ、おめでとう。大変だろうけど身体を大事にね」などとあっさり返せるはずがない。あまりにも、問いただしたいことが多すぎる。
すかさず私は、彼女のしたことの重さが伝わるよう、思いつく限りのきつい言葉を選んで返事を送信した。
あんなに熱く夢を語っていたのに、たった一時の不注意で人生を棒に振るのか。音楽を続けるにしても夢の一部が叶わなくなることを、すでに受け入れているのか。その程度の情熱だったなんて。
だいたい、「妊娠“してたぁ”」とは何だ。ふざけているのかと思った。二人の夢なのに、どうして私のことを少しも考えてくれなかったのか・・・と。
ややあって、相方から次のメールが届く。見なくてもわかる、大方謝罪だろう。むしろそれ以外に何があると思った。
だが、確かに謝罪はあったもののそれだけでは終わらず、さらなる混乱を招く、予想だにしないことが書かれていた。
嘘・・・?
予期せぬ妊娠ではなく、実はだいぶ前から子どもが欲しくて、彼氏とも家庭を持つつもりでいたという。つまり望んだ妊娠だったらしい。
それに、夢追いたい気持ちもあるし、相方の私が鹿児島に来る気でいるほど本気だったので言い出しにくかったと話された。陽性が発覚したとき真っ先に私のことが頭に浮かんで、黙っていた申し訳なさで大泣きし、今回の報告に至ったようだ。
なんだ、望んだ妊娠だったのか、それならよかった・・・とはならない。初めて聞く情報に、隠されていた理由。そして、なぜ再会を控えた今でなくてはならなかったのかという疑問。
言い分はわかったが、何からどう返していいかわからない。すぐに受け入れられないことばかりだった。
言い出しにくかったと相方は言うけれど、それを見越して言いやすいように、雑談の流れで私から恋愛や結婚の話を持ちかけたことがある。一年前に対面したときだ。
もうすぐ23歳、早ければ家庭を持つ人たちもいる。相方がどうするつもりなのか、確かめておきたかった。それで、結婚は「まだない」と言い切っていたのは記憶に新しい。しかし、だいぶ前から子供は欲しかったことを告白した彼女。
嘘をつかれていた。
しかも、言えなかったことを私のせいにするなんて。
家庭を持ちたい相方の意志にまで口出しするつもりはない。私だっていつか結婚や妊娠・出産をする可能性もあるのだから、言ってくれれば受け入れるに決まっている。だからこそ、隠さずに言ってほしかった。
―――いつから隠されていたのだろう。
私が人前に経つ恐怖を克服したくて苦しみながらもステージ経験を積んでいる時も、学業のかたわらアルバイトをしてようやく貯めたなけなしの財産をはたいて鹿児島に就活しに行っていた時も、親の思い通り普通の会社員になることをどうしても望めない自分に罪悪感しかなくなって人知れず精神を病んだ時も、ついに対面を果たした私と夢の話で無邪気に盛り上がっていた時も・・・
あの子は、表面上では私に都合のいい相方を演じながら、本心をひた隠しにしていたのか。
何も知らずに、同じ気持ちだと信じて馬鹿みたいに必死になってきた私の歳月と努力は、彼女にとって邪魔だったのだろうか。
考え直してもいいというのは要するに、子育てで忙しくなれば今まで思っていたような形では夢を叶えられなさそうだから、引き返すなら今のうちである、ということだろう。
子どもが手を離れるまでは頻繁にも会えない、ステージにも出られない。いずれ上京したいという話も、なかったことにされてしまうのか。
わざわざ遠い鹿児島に渡ってしまってから期待はずれな展開になって後悔してほしくない、と相方なりに私を気遣ったのだと思う。
当然のように考えていた鹿児島移住が、想像をはるかに超える大きな賭けだったことに気付き、初めて恐怖と迷いを覚えた。このままいけば、私は理想の成果を得られずに後悔することになるというのか。
諦められるわけがないから、
でもここまで来て、長年の信念を曲げることなどできなかった。諦めて、生きていける自信がない。夢は私の心の支えで、どんなにつらい時も夢があったおかげで私は希望を失わずにいられた。そんな大切なものを手放せば、きっともっと後悔する。
生きる意味・生きたい理由を自ら捨てて、やってきたことすべて無駄に終わったというむなしさを一生抱えて残りの人生を過ごさなければいけない。その方がずっと恐ろしかった。生きながらにして死んでいるのと同じではないか。
地元にとどまれば家族も友達もいて、住み慣れた大好きな町で何の不自由もない生活ができる。それでも、死んだようにただ生きる作業をするだけの道は絶対に選びたくない。
それだけの思いがある。相方と育ててきた夢を手放す気なんてない。
ならば、受け入れなくてはいけない。
すぐに言葉を返せず、頭を冷やす時間をとって適切な返事を考えた。
言いたいことはたくさんある。不満、不安、疑念。だけど、どれを言うのも正解ではない気がした。諦める選択肢が最初からないのだから、結局私に必要なのは、起こってしまったことを受け入れる努力だけなのだと思い知る。
相方は子どもができても私と音楽を続けたいと望んでくれていた。隠されていたことはあっても、夢を追う気持ちにまで嘘はない。それがわかっただけで充分なのではないだろうか。
世の中には、結婚や出産をしても活動を続けるアーティストだってたくさんいるから、子どもがいようがいまいが、相方は相方だ。サポートするのが私の役目なのではないか。
ここで感情のままに当たり散らして、万が一にも解散のような展開になれば自分も後悔する。
つとめて冷静に、募るものすべて飲み込んで、相方の思いを信じること・これから体調も生活も変わっていく彼女を支えていけるようになろうと決めたこと・妊娠への祝福を伝え、その場は和解した。
ほどなくして、お腹の子が流れてしまったとの報告を受けたが、悲しみに暮れる相方に寄り添っていつまでも話に付き合い、苦しみを分かち合って私たちは心の絆を深められた。
我ながら、隠し事の件を許して受け入れる判断は、長くこの関係を続ける上で正しかったと思ったものだ。歌を一緒に歌うだけでなく、人間として、本当の意味での相方になれた気がした。
内心、彼女が本当に子どもを産む展開にならなくてよかったと安心しながら・・・。
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