⑰裏 切 り 。(Story of 潮風)

あの日から、この日のために生きていた。

二人ともだいぶ気持ちが収まって落ち着いた頃、約束通り私たちは二度目の対面を迎えた。

今回は何といっても、相方とのデュエットというメインイベントがある。相方の妊娠で一騒動あったものの、お互いこの日のために練習を重ねてきたのだから、きっと素晴らしい仕上がりになるだろう、と楽しみで仕方なかった。

 

例の如く、一日目はやっぱり歌でしょうと意見が合い、カラオケへ向かう。ウォーミングアップに数曲歌い、合わせる予定だったデュエット曲をそろそろやってみようと言えば、できるかどうかわからないと返ってきた。

いやいや、難しい曲ではないし、客観的に見ても相方のレベルなら十分に歌えるはず。正直、ただの謙遜だと思った。相方は実力があるのに自分をやや低く見がちな所があったからだ。それほど心配はせず、曲を入れて歌ってみることに。

二人で同じ音を歌う部分は問題なし。なんだ、やはり謙遜か・・・と軽く考えていたのだが、その予想は意外すぎる形で覆されてしまった。

 

高音と低音に分かれるハモリの部分が訪れた瞬間、相方が全然違う音を歌い出したのである。

耳を疑った。何が起きたかわからなかった。

 

初めてのことで慣れないからたまたま失敗しただけと思いたかったが、リベンジにもう一度落ち着いて歌ってみても、相方は再びハモリの部分でありえない音の外し方をする。

半音や一音ではなく、三音ほど違っていた。近い音でも何でもない。弁護のしようがなかった。

 

こんなの、歌の苦手な人がするミスだ。プロの歌手を目指す人間がこんな有様であってはならない。

言ってしまえば、相方の担当は主旋律で、普通に歌えばいいだけだったし、原曲もよく知っていると言っていた。どちらかというと難しいのは私の方だったはず。

(どういうこと・・・?)

 

そこからどうにか気を取り直し、続けてオリジナル曲に挑戦したが、こちらはもっとひどかった。

相方のソロパートから始まるのに、恥ずかしがって歌い出さない。これには困惑してしまった。人前で歌う仕事である歌手になりたいのに、相方の私の前でも歌えない?しかもカラオケでは一人で普通に何曲も歌っておいて、なぜ急に歌えなくなる?

もしやと思って体調が悪いのかと聞けば、違うと否定する。単に、自信がないらしかった。

 

あまり腑に落ちない言い分だったが、仕方がないので一緒に歌ってやれば元気に歌う。だがハモリに差しかかり、私と音が分かれると迷子になったかのように止まってしまう。

この曲も、相方はずっと主旋律を歌っていればいいだけだった。メロディーを忘れてしまったのかと尋ねると、それはないと言い切る相方。でもパートが分かれれば自信をなくして止まり、中断して再開してまた中断の繰り返し。

いわゆる、グダグダというやつである。

(・・・なにこれ。)

 

結局、私がせっかく作って練習しておいてもらうよう頼んだパート分けでは歌わず、一年前と同じく二人で全編通して主旋律を歌うだけで終わってしまった。

 

裏切りと言わずして、何と言う。

こんな結果、望んでいない。いくらなんでもひどすぎる。悔しさでいっぱいだった。

待ちに待った再会だったのに、一歩も進めていない。それどころか、何の刺激もない、退屈で、温度差を感じるだけの時間だった。約束のデュエットが全然できなかったことについて、相方からは謝罪のひとつもない。

さらには聞いてもいないのに、妊娠騒動の約二ヵ月間、心身ともに不調で歌の練習ができなかったから力が落ちたと言い訳しだす始末。あれだけの失態を晒してこちらを落胆させておいて、悪いとすら思っていないのか。

 

さすがに呆れて、失望してしまった。

私はこの一年の成果を見せるつもりだった。相方も同じ気持ちでいてくれていると信じていた。いずれ気軽に行き来できる距離に住むとしても、二人が会える貴重な時間でデュエットをやれるだけやりたかった。

次に会うときにはもっと成長していようと約束をして別れたのに。そのおかげで頑張れたし、この日のために必死で努力してきたのに。相方は、全然違うことを考えて、違うことを優先させていたのか。

一年も前から約束していたし、次はいつ会いに行くか予告もしていたのだから、絶対に練習できる時間はあったはず。つらいことがあったにしても、十代の頃から夢を追って積み重ねてきた努力がたったの二か月程度で失われるはずがない。

ましてや音感は絶対的なものだから、不調であっても音がわからなくなるのはおかしい。呼吸やまばたきの仕方を忘れるのと同じくらいありえない。

恥ずかしがって歌えないのはもはや論外だ。自分が目指す「歌手」が、人前で歌わなくてはならない職業だということくらいわかっているだろうに。

 

この一年、毎日一秒も休まず妊娠のための行為をしていたわけでもなかろうに、本気で追っていると言った夢のことなのに、少しも私と歌う曲の練習をしてくれなかったのか。そんなに優先順位が低かったのか。

心から交わしたと思っていた言葉たちは、相方の中のどこにも残らなかったのか・・・。

 

これまで、相方と音楽をやっていけるのなら何だって捨てられる気でいた。けれど、その意志がまた揺らぐ。嘘をつかれていたことを知った時に味わった、あの不安。

この人のために、私はすべてを捨ててわざわざ北海道から出てこようとしていたと思うと、失うものが大きすぎるように感じた。大事なふるさとや人間関係を投げ出すほどの価値が本当にあるのか、果てしなく怖くなる。同じ熱を全く感じられなかった相方のために、何もかも失うのか―――。

 

帰り道。相方の運転する車の助手席で、顔を見られないよう窓の外を見るふりをしながら、溢れ出しそうになる涙を必死にこらえていた。

 

潮風に吹かれながら

遊び終えて相方と一度別れてから一人、宿泊先のホテル付近の海が見える道を散歩しながら、鹿児島の町に溶け込み、一日を振り返る。

知らない人、知らない町、知らない空気の匂い。

これから先も 私をきっと迎えてはくれない場所―――そんな言葉が頭をよぎる。歌にでもなるかと思い、持っていた手帳に書き留めて孤独をかみしめた。

揺らいだ、相方への信頼。同じ夢を持つ絶対的な味方で、心の支えだったのに、感じてしまった温度差。

君と普通の友達だったなら

君をいっそ失うことができたなら

私は、どんなに楽になれるのだろう・・・。

 

押さえつけられた思いは出口を求めて

滞在期間は五日間。私にとって波乱の幕開けだったが、不満をぶつけて気まずくなるのも嫌だし、せっかく会えたのだから楽しみたいと思い、負の感情は一度忘れることにした。

だが、ふとした瞬間にあのひどすぎるデュエットの場面が脳裏によみがえってくる。話している時、車で移動している時、お揃いで買った服を着て街中を歩いている時。

相方と過ごせて嬉しいはずなのに、疑いの念に支配され、口数が減ってしまう。

 

(ダメ、今思い出すのはダメ、せめて物申すならこの鹿児島旅行が終わってから・・・)

 

湧き上がる厳しい言葉の数々を何度も抑えながら二人の時間をやり過ごし、やや疲れてようやく帰りの日、といった具合で別れの時を迎えた。

今回の別れ際には、次回の目標を立てることはしなかった。私はそんな気分ではないし、相方は特に目指すものがないのか何も言い出さない。わだかまりを抱えて、私は鹿児島の地を後にした。

 

・・・もう限界だ。

迷っていた。感じた不安や落胆をどう切り出すか、そもそも言うか言わないか。

どれだけの思いをかけて今回の再会を待っていたか、どれだけ落胆したかくらいは知ってほしいと思う反面、黙っていればすべて丸く収まるから、また全てを飲み込んで自分一人で消化していくべきか・・・。

 

北海道に戻ったあとに、相方からLINEが届く。歌の件に関しても書かれている。

“ここ最近はいろいろあって他のことを考える余裕がなかったから、力が落ちている自覚はあった。実際に落ちていてショックだったけど、ユカに会って刺激をもらえたし、もっと頑張ろうと思えた。

それと、また妊娠していた。だからそのせいでユカと歌ったときも不調だったのかも―――”

 

そんなメッセージ。

 

もう妊娠に関しては受け入れると決めたから何とも思わない。しかし、どうにも自分に都合よく言いすぎているように感じてしまった。不調が関係しないであろう部分で散々だったのに、またその言い訳を武器にする気か、と。

「もっと頑張ろう」だって、どこまで信じていいのかもうわからない。前に会った時も言っていたけれど、その結果があの失態なら本当に頑張ってくれるのか疑わしくもなる。

 

ふと、最初の妊娠報告の時に相方が言った、「自分と音楽をやっていくことを考え直してもいい」という言葉を思い出した。

正直、考え直す寸前まで来ている。相方だって大事なことをカミングアウトしたし、これは二人の問題だから私も隠すべきではないと思った。妊娠の件からここまでの流れで、私は全面的に被害者なのだから、相方は私の落胆の思いを甘んじて受けるべきだ。

 

裏切られたと思った。想像以上にダメでがっかりした。会う日のために努力してきた自分が馬鹿みたいに思えて、何もかも嫌になった。

他のことを考える余裕がなかったというけれど、嘘をついていた身分で何を当然許されると思っているのか。

それに、言い訳に使っている出来事はあくまでも数か月前のこと。それより前は何をしていたの。約束してから一年もあったじゃない。

自分に非がないように見せようとしたって無駄。さんざん本気を語ってきてあの失態?「本気」と言っておけばいいと思っていたんでしょ、どうせ。

本気を語れば何でも許してくれる簡単な奴だと思わないで。あんな力量で本気と言われても、信じる方が無理だ。努力もできない相方なら要らない。甘えは通用しないんだから。

一年前にこの人しか相方はいないと確信したけど、今は不安しかない。これ以上、何を信じればいいのかな。

 

全て、胸の内を明かした。

不満と疑念が限界に来ていた。相方を支えると決意したものの、無理をしていたのかもしれない。受け入れなきゃ、許さなきゃ、と。流産に安心したのだって、心のどこかでは相方の嘘を受け入れられてなかったからだ。

全く聞かされていなかったことを、ここぞとばかりに言い訳に使われたって、そんな話知らないしどうでもいいとしか思えない。嘘をついていた人に感情移入なんてできない。

今後も私だけがこうやって我慢して、ひたすら相方の身勝手を黙って許していかなくてはならないのかと思うと、そんな犠牲を払い続けることなんてしたくなかった。相棒同士のはずなのに、私の気持ちは少しもわかってもらえないなんて耐えられない。

あれもこれも許して受け入れて。それをするには、短期間であまりにも大きなことが起こりすぎた。キャパオーバーだ。

 

しばらくして、届く返事。相方は、私の気持ちを考えなさすぎていたと謝罪し、いろいろ理由をつけて音楽をやってこなかったこと・実力不足の弁解はできないことを正直に認めた。

だが、本気を否定されたことに関してはさすがに頭に来たのか、「ユカと音楽をやっていきたい気持ちは本物だから!これだけははっきり言っとく!!!」と強い調子で返してきた。

 

裏切られても引き返さないのは

どうやら、わかってはくれたらしい。本気というのも、普段強く物を言わない彼女があそこまできっぱり言い切るのなら、とりあえず信じていいということだろうか。

冷静に考えたら、私の知らない悲しみや体調不良などを体験した相方に対して、あの一回だけを見てすべてを否定すべきではなかったかもしれない、とも思った。今回が不調だっただけ、会う時期が悪かっただけでもある。

不安が解消されたわけではない。でもやはり、諦めたくはない気持ちが勝つ。信じることを拒めば、長年の夢も努力も水の泡だ。

 

考え抜いた結果、私も少し言い過ぎたと相方に謝り、最後のチャンスのつもりで今回のことは許すことにした。

たくさんのものを手放して、二人の夢のためだけに北海道から遥か遠い鹿児島へ渡ろうとしているんだから、そっちもそれなりの覚悟でいてほしい。今さら半端な意志じゃ許さない―――そう釘を刺すつもりで。

お互い自分のことしか見えていなかったと二人それぞれ反省し、今回のようにぶつかり合っても目指す夢は同じだから、これからも衝突のたびに乗り越えていこうということで和解した。

 

思い返せばこの決断をしたときの気持ちは、彼女の熱意を信じることにしたというよりも、理想と合致していない相方を受け入れたくなかったのだと思う。

調子が良ければしっかり歌える、力のある相方だと思っていたかった。本気なのだから、不慣れなデュエットも恥ずかしがり屋な面も訓練すれば変わってくれると信じたかった。そうでないと、夢が叶わない。叶わない絶望を感じたくなかったのだ。

 

信じるしかない。

どんな目に遭っても、どんな苦しみがこの先待ち受けていても、私が生きたいのはこの夢に通じる道だけなのだから・・・。