①人生初期。少女、いきなり闇を抱えまくる。

子供の頃から、誰かに自分を見せるということがとにかく大嫌いだった。何かをするたびに笑われたり批判されたり、ときには暴力を振るわれたりと、いつも嫌な目に遭ってきたからだ。

自分が人にどう見られてどう思われるか、常に気がかりで自信が持てず、人前に立ちたくないのはもちろんのこと、できることなら姿も見られたくない、声も聞かれたくない。発言・行動・思考なにもかも、人に知られることが恐怖で仕方なかった。

 

身を守りたければ、何も考えず力ある者に従え。

大きな要因の一つに、子供時代の友人関係がある。

おそらく親同士の繋がりで、小学校入学と同時にひとりの同級生女子と一緒に登校することになったのだが、彼女はいわゆる女版ジャイアンのような子であった。

気に入った子には優しく接するものの、私はそうでもなかったらしく、何かにつけて批判したり気に障ることをすれば手を出してきたりと、いい遊び道具にされていた。

新しい服を着たときや髪を切ったとき、図工の作品や不得意な体育での失敗なんかは特に笑えるいいネタだったようで、馬鹿にされた記憶しかない。

加えて大柄で力も強く、空手を習っていた彼女に対して、体が小さい方だった私には抵抗などできるはずもなく、どんなに嫌な目に遭っても耐え続けるしかなかった。

相手の感情に従っておけば、とりあえず相手は満足してその場は収まる。自己主張は身を滅ぼすことを知り、本心は殺すべきものであると学んだ。

(後から聞いた話によると、私の母も向こうの母親に逆らえず振り回されてばかりだったらしく、私たちは親子で彼女たちから逃れる術を持っていなかったのである。)

 

人も嫌い、自分も嫌い。

彼女がらみでもっとも精神的にこたえたのは、共通の友達数人をつれて家に来られた時に自室の机の引き出しを無理やり覗かれ、趣味で描いていた絵や文章を広げられてことごとくからかい倒されたことだ。

やめてと主張しても力で抑え込まれ、目の前で心の中を暴かれていくさまをただ見ていることしかできない自分。仲良くしてくれていたと思っていた子たちまでが、一緒になって笑っている。

誰にも見られたくなかった大事なものたちが次々と晒されて、馬鹿にされて、こいつはこんなにもおかしい奴だと、私は辱めを受けた。

まるで、存在そのものを嘲られ、心を持つ人間として生きる権利を踏みにじられた気分だった。周りも同じ人間のはずなのに、自分だけが笑い者で、尊重される資格を与えられない。

排他的な日本人の性質上、この国の人間は基本的に強い者に従うことで身を守る。一番の権力者を制止するなど愚かでしかないのだ。強者の味方に付き、全員で弱者を攻撃する。その場にいた3、4人の中に私をかばう子などいなかった。

 

この経験は、人というものに不信を抱き、恐怖を覚えるには充分すぎるものだった。以来、心の内を人に知られてはいけないと脳に強烈に刻まれ、学校の友達はもちろん、家族にさえも心を開けなくなっていった。

人は私を大事にしない。心の中を見られてしまえば最期、また同じ目に遭わされる。

深く傷つくくらいなら、自分を殺してでも心の安全を保ちたい。無力ゆえの、最大の防衛だった。

 

同時に、私は何をやっても馬鹿にされるおかしい人間なんだと刷り込まれてしまい、自信を失って自己否定をするようになった。この世界では私だけが変で出来の悪い奴。馬鹿にされないようにふるまう能力がない自分が悪い、とさえ思っていた。

人も自分も、私は嫌いになってしまった。

 

主張より沈黙が きっと吉。

ちなみに、不登校にはならずきちんと学校には行っていた。その方が楽だと思ったからだ。

本音を話せば批判されて傷つくかもしれないし、親・学校・嫌いな同級生、各方面からいろいろと問い詰められて面倒な時間を過ごすことになるだろう。それなら我慢して何もない日常を送っておいた方が家族にも迷惑をかけないし、私の心の安全も保たれる。

ただ、いつ如何なる時も人目が気になり、「存在する」という嫌な作業を毎日している感覚だった。

仕方なく「存在」をやっている。やりたくない仕事をする労働者のように。

自分を守るための最善策として、沈黙を選んだ。人に本心を打ち明けるなど、私にとっては自殺行為でしかなかったのだから。

 

安全に生きていくための知恵。

そうして私は、人目を恐れ、自己主張を極力避けるようになった。

常に人の顔色を伺って、本心よりも相手の要求や大衆の常識とされるものに従うことを優先し、笑い者にされる悔しさから逃れたくて、笑われない人たちの真似をした。

自分の意志なんて関係ない。人の思い通りになっておけば危ない目にも遭わないし、おかしく見えなければ馬鹿にされることもなくてすむ。本当の自分を見せてしまって傷を負うことだけは、何としても回避しなければならない。

すべては存在に自信を持てない、無力な子供なりの生存戦略であった。