⑯ようやく会えた、地の果てのキミ

内定先をたったの試用期間5日で辞めてしまうハプニングがあったものの、短期契約のアルバイトだが花屋で働くことが決まり、大学4年の1月下旬から勤務が始まった。

短期で貯金を作り地元北海道を出て、デュオを組んで活動しようと約束した相方が待つ鹿児島県へ移住するつもりだった私には、ひとつ絶対に叶えようと決めた目標があった。

 

「この年のうちに、必ず相方に会う」

 

北と南、離れて住んでいた私たちは、出会って7年も経過していたが対面で会ったことはない。一度私が就職活動で鹿児島に行ったことはあったものの、時間と場所の都合で会うことは叶わなかったのだ。

しかし、3月には大学を無事に卒業してついに社会人デビューを果たした私。無力な学生の期間を終えて働くようになり、財源が確保できたことで行動の自由も広がる。予算がないから諦めるということもしなくてよくなるだろう。

相方と連絡を取り合うたび、もうすぐ会えるようになることをよく話題に出しては、叶う時が迫る対面の日にお互い期待を膨らませて、ここに行こう・こんなことをしよう、といった幸せな夢を語り合っていた。

やっと、行きたい所へ行けるようになる―――それが、とにかく楽しみで仕方なかった。

 

嬉しい誤算だったんだけど・・・?

花屋での仕事は初めてのことだらけで覚えることが山のようにあったが、それ以上に未知の体験が新鮮で刺激的だったし、もともと自然に触れるのが好きだったので毎日たくさんの植物に囲まれて働ける環境がとても楽しかった。長く働くつもりがないということで選んだ半年ほどの期間労働契約の仕事だったのだが、終わってしまうのが惜しくなったほどだ。

それでも夢の方が大事。楽しく働けた良い思い出を作って、最高の形で去ることができるのなら、何の悔いもないだろう。自分に残された地元での時間を思い切り楽しんでおこうと、契約期間の終わりであり夢の始まりに近づいていく日々を全力で過ごしていた。

 

ところが、契約満了のひと月くらい前に思わぬアクシデントが起こる。一人の先輩が体調不良により突然辞めてしまったのだ。

会社側も急いで求人募集を出したものの、すぐに応募は来ず、とりあえず応急処置として先輩の担当だったシフトの穴を埋めるべく、社長から私に話が回ってきた。

契約終了間近にして稼ぎが増えるチャンス、しかも好きな仕事だから苦にもならない、とラッキーに思った私は快諾し、契約期間内で新人が入るまでは辞めた先輩の分のシフトも出勤することになった。

 

不運にも人材募集は難航した。応募は来るものの面接すればことごとく会社とマッチしない人ばかり、良さそうな人がようやく来たと思ったら他に職場が決まって採用辞退・・・そういった状況が、私の雇用契約終了の間近まで続いた。

どうにも雲行きが怪しい、と思った。一人抜けて、さらにもうじき私も抜ける。実質二人の新スタッフを探さなくてはいけないのに、一人も見つからないのは困った事態だ。

私はシフトが増えたことで仕事をこなす量も回数も増え、できることの幅が広がったせいか、もうすぐ解雇にもかかわらず新しい仕事を次々任される。

この展開はなんとなく、まずい気がした。本当に契約を終了してもらえるのか?と・・・。

 

正社員になれちゃうんですって、ワタシ。

一向に新しいスタッフが入らず、社員一同が困り果てていた。そんな、私の退職予定日2週間前くらいのある日、社長からの呼び出し。

おおよそ跡継ぎが入るまで契約延長の話だろうと踏んでいたが、予想とは少し条件が違った。

雇用を延長するという点は当たっていたのだが、労働条件や各種手当などが記載された書類を手渡され、期間を定めず正社員として雇用したいと言われたのだ。

 

アルバイトから試験のひとつもなしに正社員昇格、それも好きな仕事。理想的すぎるコースであり、苦しい就活に挑まなくてはならない世の学生たちから見たら文句なしの勝ち組だろう。

だが、こちとら長くは働かないつもりで入社した身。辞めたいタイミングで辞められなくなったのはかえって都合が悪い。このまま人が入らなければずるずると働き続けることになって、年内の鹿児島移住は厳しいかもしれない。

とはいえ収入が増えて安定するというメリットもある。貯金は最低限しかないより多いに越したことはない。移住してすぐ働き口が見つかる保証もないし、見つかっても相性の良い職場とは限らないので長く稼ぎ続けられるかという問題も出てくる。

早く夢は叶えたいが、一人で生活したことなどないので何にいくら必要になるか、すべて分からない。最悪の事態を想定して、無収入でもしばらく暮らしていけるくらいの貯金があった方がいいのではという気もする。

この思わぬ提案は、困るが魅力的でもある。数日考えてから答えてくれていいとのことだったので、ひとまず持ち帰り、悩みに悩むことにした。

 

どうするよ私。もう遠回りは嫌だ。早く好きなことをしたい。でも結局何をするにもお金は必要。花屋の仕事も好き。

仕方ない、ここは双方の利益のための合意といこう。人間関係も良く、楽しい仕事をさせてもらえた職場にやや感情移入していた部分もあり、お世話になった人たちのピンチを救うことが善に思えた。

でもやはりこちらにも事情があるので、引き受けておきながら申し訳ないが自分のタイミングでいずれ辞めさせてもらうことにする。

 

就職させていただきます、と社長に意志を示し、私は正社員として職場のみんなから歓迎された。

 

Mission: 「おやすみほしい」を主張せよ!

予期せぬ展開となり、自由は少し先延ばしになってしまった。けれど、鹿児島に行って相方に会うという目標は変わらない。この年のうちに、対面だけは絶対に叶えたかった。

そこで、移住まではできなくとも相方に会うための旅行くらいはできるはずだと思い、仕事の閑散期を狙って鹿児島へ数日行ってこようと計画し始めた。

 

問題は、休暇の取得が可能かどうかだ。ただでさえ人手不足なのに、休むことなど許可してもらえるのだろうか。社会人1年生、どの程度の理由であれば休ませてくれるのかというところからまず知らなかった私は、出勤不可能な大ケガや感染症、身内の不幸でもないと欠勤できないように思っていた。

どこで刷り込まれたのか、会社というものはとにかく労働者を休ませることなく使い倒すものだというイメージしか持っておらず、誰もが会社の思い通りになるコマとして身を捧げることを良しとしているような空気を感じていたのである。

だから、旅行なんて理由で休むことは無理だろうと思い、雇用を解かれてから何にも縛られなくなったタイミングで鹿児島に渡るつもりでいた。

 

だが実際に会社で働いてみて、どうやらそこまでの鬼畜な世界でもないらしいと分かった。入社以来、私はほぼ皆勤であったのだが、大学の卒業式のためにやむを得ず1日だけ欠勤したことがある。卒業式が「休んでも良いケース」に該当したのだ。

社会人になったら自由をすべて失うと思い込んでいたので、これはなかなか私の常識を書き変える驚きの出来事であった。欠勤を許してもらえるやむを得ない事情は、思ったよりも範囲が広いのかもしれないとわずかな希望を持てたものだ。

 

どのくらい「やむを得ない」と認識してもらえるのか。自分にとって大事なことでも、周りにとっては「その程度のこと」とみなされる可能性は大いにあるのではないか。

不安はあるが、人生において譲れないものなので諦めたくもない。罪悪感をこらえて個人的な希望を許してもらう行動を試してみようと思った。

人に迷惑をかけてはいけないにしても、この世ではやりたいことをやって生きることが許されていると、もう私は知っている(14話参照)。冷静に考えれば、権力者や社会の構造には逆らえないように思えるけれど、そう信じ込んで逆らえなくしているのは結局自分自身ではないか。

許されないと思うから、許されるものも許されなくなる。ならば、自分に許可を出すのは、まず自分だ。

「どうせ無理だろうから我慢しよう」ではなく、「望んでみてダメだったら次の手を」。諦める気はないのだから、諦めは選ばない。なんだ、シンプルな話ではないか。

 

言うだけ言ってみれば、案外叶うかもよ。

私は賭けに出た。試してみないことには可能性も生まれない。ふた月ほど前からあらかじめ、鹿児島に行く予定があるため二日半だけでいいから休みが欲しいと先輩や上司に申し出た。

ダメ押しに、出発の日も午前中は出勤するし休日も利用してなるべく仕事に穴を開けないつもりであること・実は契約延長になると思わず、解雇になっている前提で既に計画を立ててしまっていたことも説明する。

誠実さをアピールしつつ、正当な権利として認めてもらうための主張も忘れない。やや汚いやり方かもしれないが、私も私で絶対に譲れない人生の大きな夢。利用させてもらわない手はなかった。

 

なんとなく、聞き入れてもらえるという確信はあった。ほぼ皆勤で、急な人数減少による残業も、契約延長からのフルタイム勤務の要求までも飲んだ、いわば私は救世主的存在だったのだ。

立場が不安定だった無力な新入社員の頃と違い、私は信頼を勝ち得てこの会社の一員として迎え入れられており、周りはもう味方。味方の話ならば聞いてもらえる、もう勝負に出てもいい頃合いだと踏んでの賭けである。

 

結果、私の申し出はあっさり受け入れられた。会社の人手不足というピンチを救ったばかりというのもあり、私に対する印象は良い状態だったようで「いつも真面目に働いてくれているからゆっくりしておいで」と、何の咎めもなく自由になれる権利を得られたのであった。

 

私、生きてきてよかったよ

2013年9月某日、私は相方に会うべく鹿児島へ発った。午前中の勤務を終えて慌ただしく空港へ向かい、飛行機2本バス1本の長旅を終えて深夜に相方の住む街へ到着した。

 

翌朝10時、ホテル付近のコンビニで待ち合わせ。相方と、初めて直接会う日。

やっぱりまずは歌でしょ、と意見が合致し、カラオケに行こうと約束していた。車で迎えに来てくれるという相方の到着を、少し早い時間から待つ私。

写真でよく見せてもらっていた黒い車が通らないか、見える範囲の道路全てを気にしながら過ごす。こちらに向かってくる似た車があれば即座にナンバーをチェック。

これも違う、あれも違う、これだ!と思ったら微妙に違う・・・。友達との約束が待ちきれない子供に戻ったような気分だった。

 

そうして10分ほど待った頃。聞いていたナンバーと一致する黒い車がこちらに向かってくるのを目撃した。

ついにこの瞬間―――。

夢にまで見た、相方との対面の時が迫り、心臓が早鐘を打つ。

運転席からおぼろげに確認できる、写真で見覚えある女の子の顔。携帯電話越しでしか存在を認識できなかったあの相方が、現実に、この世に存在している。

あんなに絶望的に遠かった鹿児島の地に降り立って、会える望みすらも絶たれそうだった相方と、今、私は目で見て触れられる距離で対面する・・・。

 

感無量、とはこういうことだろう。

車が止まり、運転席のドアが開いて相方が降りてきて、顔を合わせる瞬間。この世で唯一、同じ夢に向かって共に歩む存在である相方が、目の前に立つ。

 

本物だ。夢じゃない、現実。

 

互いの名前を呼び、端から見れば特別感も何もない昼間のコンビニの駐車場で、人目も気にせず抱き合う女二人。

地の果てに住む二人が、出会って7年経ち、ようやく逢えた嬉しさを噛みしめる時間は1分にも満たない短さだったが、かつてない幸せの大きさに現実であることを忘れそうな、永遠のように思えた。私たちの周りだけが輝き、どこか別世界にいるような感覚。

 

人生に、こんな喜びがあったのかと感嘆したものだった。今までたくさんの苦しみ・壁・挫折、試練の連続だった。いつか叶うと信じたくて、叶わない現実に耐えてきた。夢へ近づくために重ねた愚かな遠回りだっていくつもある。

全て、この瞬間のためにあった、この喜びを味わうための道のりだったと思えるほど、幸せばかりの気持ちが胸に満ちて溢れ出す。今があるためのものだったなら、過去の自分の愚かささえも愛せそうなくらい。

何もかもこれでよかった、この夢を持ってこの人生を送ってきて本当によかった。生きてきたことすべてが報われたような、何よりも大きい祝福を与えられた心地であった。これが、夢をつかむ達成感・充実感というものだと。

諦めなかった自分を、私はやっとほんの少し、好きになれた。

 

君と歌う、二人の夢。

相方とのカラオケは、単なる遊びではなく今までの訓練の成果を見せ合う場という意識が互いにあったからか、自分たちが本当に歌手になってライブをおこなっているような、濃密な時間だった。

友達と遊びで行く、歌い終わりを待たれるだけのどこかむなしいカラオケとは違う。お互いがお互いの歌を求め、聴いてほしい曲を次々と歌って応える。夢を認め合い、同じ夢を追う仲間同士、本気で心を込めて歌うことを楽しみ、夢を持つ自分に胸を張っていい時間。

私たちを笑う者も冷めた目で見る者もいない、神聖な世界にいるようで、どんなに居心地がよかった環境にも勝る特別な充足感を覚えながら、私たちは大好きな歌を純粋にただ楽しんで歌い続けた。

 

機械を通さない、直接聞く彼女の声は思った以上に力強さがあり、音声ファイルで聴かせてもらったときの印象を少しだけ変えたが、やはり女の子らしいかわいい声。この声はきっと売れると思った。

そして私の声ともぶつからない、歌唱力も音域も大差はない。しかも私の苦手な音域に強く、私もまた相方が出しにくそうな高音が得意で、お互いをカバーしている。

不足を補い合えるパートナーのようであり、もっと努力しなければと刺激をくれるライバルのような、これ以上ないくらいの理想的な相手。やはり相方はこの子しかいないと、私は確信した。

 

ひとしきり歌って雑談し尽くした頃、どちらからともなく、オリジナル曲を合わせてみようかという流れになった。相方が歌詞を書き、私が曲を付けた二人だけの曲。音源はないが、そんなことは気にせずアカペラでやっちゃおう、と。

カラオケのマイクで、二人並んでステージに立っているかのように、ライブ風に曲紹介なんかもして歌い始める。

パート分けもまだしておらず、ソロパートやハモリもなくずっと二人で同じフレーズをユニゾンするだけの、ないものだらけな初デュエット。

味気ない仕上がりだったが、今まで遠くにいたこの子と二人で肩を並べて同じ時間を共有し、同じ歌を歌っているという事実だけで満足だった。音楽番組でMCの人が曲紹介し、観客の前で歌っている場面が想像できたと言って相方が喜ぶ。

二人でいれば無敵―――そんな若すぎる青春じみた思考になってしまう自分に少しの気恥ずかしさを覚えつつも、同じものに一緒に夢中になれる仲間と大きな夢を語り合えて幸せだな、と心が温かくなった。

 

私たちの初ライブ(二人の中ではすっかりそんな感覚だったが、あくまで無観客の単なるカラオケである)は、朝から夕方までたっぷりと行われて大成功のうちに幕を閉じた。

その後も次の日も、限りある時間をできるだけ一緒に過ごしたい思いで、夜遅くまで鹿児島中を遊びまわり、どこへ行くにもこれからの二人の活動についての話や、お互いの学生時代の話などを語り倒しながら過ごした私たち。

あれがやりたい、こんなこともやってみたい、あの時にこの曲を作ったなどと、音楽ネタだけでいつまでも無限に話し続けられ、知り合った高校生の頃に戻ったようなはしゃぎようだった。

 

君にとっての特別

帰る前日の夕暮れ時、私たちは夕日がきれいな海にいた。相方が、思い出の場所だからと言って連れて行ってくれたのだ。

歌手になりたいと思い始めた中学時代から、同じく歌やギターが好きな、音楽の趣味友達のような同級生の子とよく訪れ、暗くなるまで歌って遊んでいたという特別な場所らしい。

その友達とは今では疎遠になってしまったことを淡々と話すが、夢を見て、夢を理解してくれる友と一緒に大好きなことをして過ごした時間は、彼女にとって間違いなく大切なものだったのだろう。なんとなく、感傷的にも見えた。

 

その海に、私と二人でいる相方。真っ赤な夕日に照らされ、隣に並んで穏やかな海を眺める彼女の姿をぼんやりと見つめながら、自分がここにいることがまだ現実でないような不思議な感覚に陥る。

 

ここで相方とその友達が過ごした時間、たくさんの思い出。それをずっと見守ってきたこの海、相方が生まれ育った町。そこに、遠くから来た、何も知らない私。私だけが、今この世界で異質なものに思えなくもない。

君と誰かの場所。私が、迎えられていいのだろうか。

 

“波ひとつない水の中へ 朱い陽が落ちようとする

いつかの思い出 重ね合わせて

淋し気な横顔を作る 君の隣に 僕”

 

でも、相方が選んだのは私。隣にいる、この二日間を共に過ごした子が、故郷から遠く離れたこの地で長年同じ夢を追い、将来を約束した相方。

これからはこの、彼女の思い出の場所が、私と彼女の「いつもの場所」になり、私と二人で新たな思い出を刻んでいくのだろうか。

 

「当時に戻りたいと思う?」と聞くと、「多少は思うけど、今はユカがいるから大丈夫」と、満足そうに言う相方。大事な思い出を分かち合ってくれて、大事にされているんだな、と私も嬉しくなる。

本心から私との未来を望んでくれているのだとは思うけれど、実は過去に未練があるのかもしれない。

本当のところは彼女にしかわからない。それでも、淋しい思いをさせずに、これから楽しい時間をたくさん過ごさせてあげたいな、と思った。

 

最高の幸せを、ありがとう。

早いもので、相方と過ごす二日間は夢を語り明かすうちに一瞬で過ぎ、帰る日の朝。

空港へ向かうバスを待っていると、相方が見送りに来てくれた。二人でいられる残り時間を惜しむように、また会う日までお互いもっとレベルアップしていようと約束を交わし、抱負を語り合う。

そんな時間もついに終わりのとき。ほぼ定刻にバスが到着。もう少し遅れてくれてもよかったのに。

 

「じゃあ、また。」

 

再会を誓って、バスに乗り込んだ。束の間の別れ。

また少しの間、夢見る歌手の卵から普通の花屋の店員として働く日常に戻るけれど、ここで相方と過ごす時間の方を本当の日常にして、この充実感でいっぱいの日々を手に入れるため、絶対にまた帰ってくる。

一つ大きな目標を達成して、夢は自分でつかみ取ることができるものだと知った。報われるのは、諦めない人間だと。そして、夢を叶える喜びに勝る幸せはないと。

こんなにも満たされる人生になるのなら、夢を追うのはやめられない。これからの毎日が、ここでの最高の未来につながっていく。この旅で得た喜びが、私をどこまでも強くしてくれる。

夢を叶える為ならどんなことも頑張れる、どんなにつらい試練も乗り越えられると、際限なく力が湧いてくるようだった。

 

“終わるだけじゃない 遠ざかる君を

迎えに 行くよ―――”