母校の中学は学校行事に力を入れていた。まず、先生方がとにかく全員熱い。ひとりもストレスを抱えず、好きでみんな燃えていたのだろうか。大人になって社会人経験を10年積んだ今、思い返すとそんな疑問を抱くほど、どの教員も行事のたびに楽しそうに全力で盛り上げていた。
彼らの情熱は純粋な生徒たちの心を大きく動かし、クラス一丸となって最高の結果を目指す意欲をかきたてる。なんとも感動的な、生徒も教員も全力で同じ目標に打ち込む絵が出来上がるのだ。
しかし、残念ながら行事は誰もが熱くなりたくて、誰にとっても楽しいものではない。燃える大衆の陰で、私はユーウツだった。
我が校では文化祭に合唱コンクールがあり、準備期間には各クラスで練習が行われる。スポーツ万能組が主に競い合っていればいい体育祭とちがって、こちらはクラス全員参加なため、問答無用で放課後は居残り練習となっていた。
基本的に人と関わる時間・人目につく時間を最小限に抑えて、授業が終わったら即帰りたい人間だった私にとって、残される時間、それも人前に出る発表ものの練習はなかなかの苦行であった。
強制的に歌わされる行事。
中学2年の秋のこと。文化祭の季節。恒例の合唱コンクールに向け、私のクラスでも練習が始まった。
声が高い方ではないのでパートはアルトが良かったが、苦手な子の割合が多かったので断念し、仕方なくソプラノを選択。本番が終わるまで、歌っているふりでもしてやり過ごそうと、はじめは安易に考えていた。
というのも、かつて歌のテストやカラオケなどでまじめに歌って散々バカにされたトラウマがあり、人目がある中で歌うことなど死んでもお断りだった。歌ったところでどうせまた同じ目に遭う。口パク一択で決まりだ。
メンバーは歌が好きで声も大きい子たちだったので、一人くらい黙っていてもいいだろうと思った私は、歌わずに口を動かすだけの作業を続けていた。
全体練習を重ねるうちに、主旋律を歌うソプラノがアルトや男子パートにかき消されるという問題が出てきた。原因は声量以前の問題で、ソプラノの人数が全パート中もっとも少なかったからだ。
ここでなぜ人数の調整がされなかったのか疑問で仕方ないのだが、ソプラノパートは声量を強化すべく放課後に厳しいパート練習を強いられることになった。
己の罪と、生存をかけた究極の選択。
暗雲が立ち込める予感。それは見事、すぐに的中する。全員の声量を確かめるために二人ずつ歌わされることになり、ごまかしが効かなくなってしまった。
案の定、ペアになった子の声しか聞こえず、歌っていないことがバレる展開に。当然、私は全員から責められ、声を出すことを要求された。
全力な生徒が、まじめにやらない問題児にブチ切れる――マンガや学園ドラマにありがちな、もはやお笑いネタともいえるベッタベタなシチュエーション。まさか当事者として体験することになるとは。
さすがに自業自得であったことは認めるが、ひとつ意見を述べさせてもらうと、最初からやる気のある人だけでやればよかったのではないだろうか。
強制参加システムを全員が喜ぶわけではない。やると決めたにもかかわらず参加しないのは咎められるべきだが、選択権もなく強制されてそのうえ責められるのはちょっと違うのではないか、と思わなくもない気がしたりしなかったり・・・
という昔のどうしようもないことはさておき、ここからが試練。私は究極の選択を迫られることになった。
歌うとバカにされることが目に見えているので歌いたくない。だが歌わなければ、行事に燃えるクラスメイトたちのことだ、歌うまで見張られそうな空気さえある。
どちらを選んでも苦しむ。今この瞬間を生き延びるにはどうすべきなのか。例えるとしたら、食糧か住居か、それくらいの大きな選択に思えた。
これ以上笑い者にされたくない。でもこのまま歌わずにつるし上げられるのも嫌だ。
結果、この場を逃れるために私は渋々歌うことにした。おとなしく歌えば、自分一人の犠牲で済む。
歌わないことを迷惑がられている、それが決め手となった。自分のせいで友達が傷つけられた記憶により、人の迷惑になることに恐怖心が芽生えていたのである。
ここは、みんなの気持ちを収める方が正しい。従っておけば満足してもらえる。みんなを困らせた罪悪感も手伝って、この場限りの恥は受けてしかるべきだろうと自分に言い聞かせ、耐えることに決めた。
従い、償い、救いの果てに
私が歌うようになっても、たかだか一人のさほど大きくもない声量が追加されただけで、そこまで変化はなかった。しかし責められることがなくなったので、やはり周りの思い通りになっておく判断は正しかったらしい。力には服従するものである。
驚いたのは、いつになってもバカにされなかったことだ。いつくるんだろう、陰で何を言われているんだろうと怯えていた。何もない理由がわからなかった。
「声が出ている」と言われると恥ずかしくて消えたくなった。聞かれている。
変な声だと、下手な歌い方だと、気をつかってみんな言わないのか。心の中では笑いつつも、誰かが言い出さないから言えないのか。
ひどい被害妄想だと呆れられるだろう。真剣に何をどれだけやっても鼻で笑われ、人目に触れることが恐怖でたまらないこの苦痛は、体験した者にしかわからない。今でこそ、ねじ曲がりすぎていた思考に自分でも笑えるほどだが、当時は本気で悩まされていたのである。
それでも、はじめは人目を恐れて仕方なく歌っていたものの、嫌な目に遭わない日々が続くと一生懸命になるのも悪くないように思え、仲間たちと一つの目標に向かう毎日がしだいに楽しくなっていった。
惜しくも受賞には届かなかったものの、全力を尽くした達成感を味わうことができ、それなりに良い思い出として終わることができたように感じていた。
そのまま、いい気分で終われたらよかったが、そうもいかないものだ。のちに他のクラスの女子たちが
「がんばって歌ってたけどどうしたの?」「おもしろかった」
と笑ってきたのだった。
あ、やっぱり。
そりゃそうよね、ずっとそうだったもの。
変な顔も変な動きもしていないつもりだった。制服の着方も間違っていないし、髪型も無難。歌う姿が大勢の目におかしく映らないよう、鏡を見て練習までしたのに。
なぜかわからないが、何をしても笑われるのはもはやそういう星の下に生まれたということなのかもしれないと、むなしさを知った13歳、秋。
束の間の甘い夢は、現実に呑まれて消えた。
どうしてクラスメイトは笑わなかったのだろう、という疑問だけを残して。