今までやったことのない新しいことを短期間のうちに次々始めたり、難しかったことに成功したりすると、『挑戦』というものに対するハードルを感じなくなっていく。できたことがないから不安なことでも『できる』と知るからだ。
前回、気乗りしないが将来のために始めた二つのこと;アルバイトと、カラオケで歌う訓練。両方とも始まりは目も当てられない大失敗となってしまったが、自分の中での大きな挑戦であったこれらの経験は、私がぐんと飛躍するきっかけになり、さらなる大きな挑戦の助けとなる強い力をくれた。それが、『やればできる』である。
あれれ、人がこわくないぞ。
アルバイトを始めて数か月たった頃、徐々に人と接することや人目につくことが苦にならなくなっている自分にふと気がついた。
料理を出したり皿を下げたりする際の声かけ程度でも、何度もこなせると『できた』という自信になっていく。わずかな接客要素であっても、『人と接する仕事を難なくこなしている自分』を感じることができ、苦手と決めつけて避けていたが意外にやれるものだと思えた。
また、社内の人間関係も良い影響を与えてくれた。友達付き合いしか知らなかった自分にとって、仕事上でしか接しない関係というものはむしろ心地良かった。
深いことまで話す必要もなく、皆それぞれ業務の遂行が第一の目的なので、人の一挙一動をいちいち記憶してからかうようなこともない。いい意味で希薄な付き合いが、とても気楽であった。
同僚たちがわりと歳が近く、話しやすい人ばかりだったのもラッキーだった。
今まで同級生からは何かにつけて笑われたり批判されたりしてきたけれど、どうやらそんな『今まで』が特殊だっただけらしい。職場で同じような目に遭うことは一切なく、みんな私のことをきちんと立派な一人の人間として扱ってくれる。
世の中には人間関係に悩まされなくていい世界もあり、優しい人もたくさんいたようだ。私は誰から見ても変で駄目な奴というわけではなかったんだと知り、他人を過剰に恐れることをしなくなった。
そうして私は、アルバイト全体を通して人に対する過大な恐怖を、いつのまにか払拭していたのである。
憧れた 夢を叶える 未来へと
高校2年の秋ごろ、相方が音楽に集中したいという理由で退学したことを聞く。驚いたが、本心を親や教員に話せない私にはその行動力が少し羨ましくもあった。
しかし同時に、彼女の本気さにより一層刺激を受け、負けていられないと奮い立ち、私も私で相方に会える日まで自分を高めていこうと思えた。
一度できれば二度目以降もできるもので
人前で歌えるようになろうと決心して挑み、無様な失態を晒して打ちのめされた前回のカラオケ事件は相当こたえたが、あれから私は、親しい子から初めて遊ぶ子まで幅広い(といっても10人に満たない程度の)友達とカラオケに行くようになっていた。
断らなくなったことで誘いも増え、訓練を重ねられるという良いループに持っていけたようだ。それに、誰の前で歌おうと笑うような子はいなかったのも安心の素であった。やはり世の中には、想像以上に思いやりのある人が多かったらしい。
実際のところ、誰かを前にすると少しも失敗したくない思いに駆られて緊張が高まってしまい、何度やっても家で一人リラックスして練習するときのように歌えたことはなかった。
それでも、過去のトラウマがあったとはいえ相方との夢があったおかげで立ち向かう気になれたし、回数をこなすうちに歌わなくてはいけない雰囲気にも慣れていくもので、緊張のあまり声が出せないということはなくなった。歌い直しをしたのは、第一戦目のあの時限りである。
できない自分に、できる記憶を。
加えて、しだいに曲数も多く歌えるようになってきたことで現状が見え始め、課題がわかってきたという収穫もある。できていること・いないことの自覚ができれば、どう改善すべきかを考えていけた。
練習を積んだ気でいても問題点ばかりが見つかるのは精神的に苦しかったものの、自分を向上させる良い機会だとも思った。
自分の課題はやはり緊張によるパフォーマンスの低下。緊張していても問題なく歌える曲もあるが、ある音を超えると人前ではうまく出せなくなり、歌いたくても怖くて歌えない・ためしに歌ってみても絶対にうまくいかない曲が多かった。
さらに、自分が作る歌の大半はこの『うまくいかない音域』を多用している。これでは当然ダメだ。(余談だが『草原HAIDI』はちょうどこの時期、高校2年の時に誕生した曲である)
そこで私は、人前では確実にうまく歌える曲を多く歌うようにし、『うまくできた自分』を何度も脳に焼きつけて、緊張しても成功できるということをとにかく刷り込むようにした。
今までは何をするにも自信がないから怖いという状態だったが、簡単な話で、自信がついてくればそれらの悩みも解消されていくものであった。
ならば、もっと成功回数を増やして自信をつけていけばいい。そのうち緊張が薄らいでいけば、どんな歌でも気持ち良く歌えるはずだと信じながら。
ここまでできた。もっとできそうだ。
高校3年生になり、ついに私は『そろそろステージで歌う経験を積もう』とまで思えるようになった。
志望大学のオープンキャンパスで音楽系の部活(吹奏楽ではなくいわゆるバンド形式のもの)があることを知り、入学が決まったら入部してボーカルに志願してみようと考えていた。カラオケで歌うことすら逃げていた自分が、である。
進路に関してはなかなか悩んだもので、高卒で就職して上京のための貯金に専念しようとも思ったのだが、朝から晩までどこかで働きたいとは思えなかったのが正直なところだった。
空いた時間でライブ活動をするにしても、ミュージシャンの知り合いがいるという相方の話を聞けば、アマチュアでは出演の場を確保するにも客集めにも一苦労とのこと。
それを考えると、やりたくない仕事のために長時間をとられずに済み、人脈・実績ゼロでも部活ですぐにステージ経験を積めるという道はあまりにも魅力的すぎた。
これは将来への投資として捉えるべきではないだろうか。学校に通いながら音楽作りもしながらのアルバイトでは、大した額の貯金はできなかった。だから今すぐどこかに移住することは叶いそうにない。足止めを食らうなら、少しでも有意義な過ごし方をしたい。
それに教養を広げれば可能性も増え、給与の多い仕事にも就きやすくなるかもしれない。卒業するころには22歳、自力で生きていけない子供とは違う、大人になっている。
今は許されなくても、大人になればもう親に依存せず、誰の目も気にせず、働きながらでも好きなことをして、好きな所に住んでいい。
中長期的に見れば、進学する選択は充分プラスに変えられると思った。何が正しいかなんてまだわからない、でも今の自分が導き出せる最適解はこれだ、と17歳なりに考えぬいたのである。
事実、もう少し深く学んでみたい科目もいくつかあったため、金銭面で親に迷惑をかけるのも心苦しかったが、授業料年間一部免除の特待制度と奨学金を利用して親への負担をできる限り抑え(それでも充分苦労させてしまったとは思う)、本当の目的は隠して大学進学をさせてもらうことにした。
相方に会うまでの、最後の猶予期間にするつもりだった。絶対に、どんな歌でも堂々と思いのままに歌える自分になって4年間を終え、私は夢を叶えに行く。
不純な動機と言われようが構わない。人に左右されて曲げられるような決意ではなかった。(ちなみに奨学金は卒業後から全額自力で返済している。)
すべてがうまくいくかは知らない。どんなことにも保証はない。でもそれなら、うまくいかない保証だってないはず。
できなければ、できるまでやってやる。できなかったことも、やったらできたのだから。
『やる』が『できる』に繋がるのなら、迷いなどは最早なかった。
やったらできた。できなくなかった。
こうして、『成功した経験』として蓄積された努力たちは自信となって、未来へ向かう希望をくれた。
夢が生まれて始めた歌作り・接客や同僚との会話・カラオケでの訓練、種類は違えども、どれも『新しいことに挑戦できた』という成功、そして『初めはできなくてもやればできた』という成功の記憶になった。
その結果、当たり前に自分のやりたいことをする将来に向けての選択までできるほどに、私は成長していた。
数年前、中学2年までは自分なんか何をやっても駄目だと思い込み、挑戦すれば失敗の未来しか見えず、何をするにも怯えていた。
そんな私が、『未来の自分はきっとここまでできるようになっているはずだ』とまで自分を信じることができるようになっていたのは、間違いなく挑戦の道を選んだことで得られたいくつもの成功体験のおかげである。
何事も、やればできる。
挑戦できたということが、すでに成功なのだから。