部活動を通して人前で歌えるようになることまでを無事にクリアできた私だったが、大学3年生といえば、将来にかかわる重要なイベントが始まる学年。
学生たちにとって地獄のトラウマワード「就活」こと、就職活動である。
学内では、3年生のうちから企業研究や選考試験対策などの備えをしておき、4年生のうちに就職内定をもらって安心して卒業しましょう、といった空気が蔓延し、学生たちはストレスでピリピリしだす。うまく行く人もいれば、不採用続きで苦悩の果てに身体や精神を病んでしまう人も出てくるという。
良くない話の方が多く耳に入ってくるこの試練に、私もついに向き合う時が来た。
これ以上の進学はしない。卒業後はすぐに家を出て相方との音楽活動を始めるつもりで、音楽の収入がないうちは働きながらの活動になるという覚悟はしていた。
フリーターでもいいと思っていた時期もあったが、収入額や社会保障・有休制度など条件面ではやはり社員になった方が何かと良いらしい。暮らしていくことに手いっぱいになって音楽ができなくなっては本末転倒なので、生活に苦労しない働き方を選ぶに越したことはない。
特にやりたくない仕事のために身をすり減らすのはだいぶ憂鬱に感じたが、これを乗り越えれば好きなことができる未来が待っている。誰の目も気にせず、一番やりたかったことができるようになる。
その喜びを得られるのなら、2年程度の苦難など怖くない。耐え抜いて内定をつかんでやろうと思えた。
オラ、鹿児島さ行くだ。
実は大学に入学した頃から、最初に就職する場所は決めていた。相方の住む、鹿児島県だ。
お互い上京を考えていたが、相方の経済状況に問題が発生し、少し難しいということになってしまった。相方は高校を2年生の初めに中退しており、上京の資金を貯めようにも中卒の学歴では雇ってすらもらえない会社ばかりで働けず、実家で家事をしながら歌詞を書いたり楽器や歌の練習をしたりする日々を送っていたらしい。
ならば相方が動かなくてもいいように、私が鹿児島に移住しよういう答えに行き着いた。上京するにしろしないにしろ、北海道と鹿児島の距離を埋めるためにはどのみち移住しなければいけない。まずは鹿児島に住んで、それから上京するという形でもいいだろうと考えていた。
どうせなら楽しく働きたい。
希望の勤務地は決まった。次は、何の仕事に就くかだ。働き続けられなければ意味がないので、何でもいいというわけにもいかない。それなりに熱を注げそうな、苦にならない仕事が良いだろう。
実のところ、私は「仕事」や「会社員」に対して良いイメージを持っていなかった。TVのドラマやCMでよく見るサラリーマンやOLは、いつも「あの上司が嫌」「早く帰りたいのに今日も残業」「もう辞めたい」と愚痴をこぼし、付き合いと称して無意味な飲み会に参加させられたりしている。
フィクションだとしても、現実を元にしているから世間の共感を呼ぶ。つまり現実にも存在する世界なのだ。
みんな疲れていて、誰ひとり楽しそうにしていない。
馬鹿らしい。やりたいことをする幸せを知っていた私は、不満を垂れながらやりたくないことのために消耗するだけの人生に何の意味があるのかと思っていた。
「会社員」なんて肩書きとしては最悪で、才能も生きがいもなく、他に行くところがない人たちのための最後の選択肢、という印象だった。人生を諦めた人たちが仕方なく行き着く、墓場のような到達点だと。
だが就活に挑むということは「それ」になろうとしているわけで、だいぶ嫌な気持ちはあった。
少なくとも私は、嫌々働く人々のようにはならず、用意された選択肢の中から一番やりたいと思えることを見つけて仕事にしようと決めた。
好きな音楽もできて、生活のための仕事まで楽しかったら最高ではないか。憂鬱ばかりでない、いいこともあるはずだ、そう前向きに考えて就職に対する意識を上げながら。
鹿児島、行ってみる?
3年生の秋頃。大手就職支援サービスが主催する、大学生を対象とした合同企業説明会が、日本全国あちこちで行われるという情報を得た。
多種多様な業界の企業がひとつの会場に集まり、各会社の社員から直接話を聞けるという機会だ。
鹿児島でも、開催予定があった。確認すると日付はまだ何カ月も先。
これに参加してみようか・・・?
将来住む土地に実際に降り立って、現地の仕事をこの目で見られればモチベーションも上がるだろう。そう思い立ち、すぐに申し込みそうになったが一旦立ち止まる。
どうやって鹿児島まで行けばいいだろう。交通手段は?所持金で足りる?移動は何時間?宿泊も必要?
日本の端と端、何から何まで全くイメージがわかない。JRの指定切符すら購入したことがない上、飛行機の手配なんてする機会もなかったので、リサーチにやや時間を要するような気がした。
とはいえ、交通手段を調べているうちに説明会の参加者枠が埋まるのも嫌だ。どうせキャンセルはボタン一つで無料。
「安く行けたらラッキー」くらいに考えておいて、とりあえず参加の申し込みだけはしてしまおうと思い、行けるかどうか手段の段階からわからないイベントに生まれて初めて申し込んだ。
格安ツアープランを作成せよ!
行ける保証はないとしても、やはり駄目だったという結果は悔しいのでできる限り手は尽くしたい。徹底的に安く鹿児島へ行ってやろうと思った。
「北海道 鹿児島 航空券」で検索をかけると、航空券の最安値比較サイトがいくつもヒットした。「一番安く買える」と謳うサイトが複数ある。どういうことだ、差は一体何なんだ・・・
(ええい、全部見てやらあ!)
根性で3日くらいかけて検索上位のサイトを巡った結果、北海道から鹿児島への直行便はないので乗り換えが必要・2便使うので値が張る・安いチケットもあるが待ち時間が長かったり出発時刻が早すぎたり遅すぎたりする、というデータが得られた。
しかも、一番早い便を使っても鹿児島空港から説明会会場までは、さらにバスで1時間ほどの距離があるため、会場に着くころにはすでにイベントも中盤だ。おまけに当日のうちに帰れる飛行機もない。
そうなると往路・復路それぞれ1日ずつ移動に費やすことになるので、交通費に加えて2泊分の宿泊費も必要になる。これでは負担が大きすぎてかなり厳しい。
だが諦めたくはない。別のパターンは考えられないかと必死で知恵を搾る。1便でできるだけ九州の近くまで行けないか?そこから安い夜行バスでも出ていないか・・・?
あまり期待せず調べると、なんと、最適な航路と陸路両方が見つかったのだ。
関西国際空港までの便があり、大阪から鹿児島まで片道7千円ほど(※2011年時点の運行路線と価格)の夜行バスが出ているという。それにバスの到着場所は目的の会場のすぐ近くなので、空港からさらに移動する必要もない。
これは助かる。移動と宿泊を一緒にしてしまえる上に、何か所も経由しなくてよいので無駄な待ち時間もなく、大幅に出費を抑えられる。気になる夜行バスでの移動時間は10時間・・・
え?じゅ・・・10、じ、かん・・・!?
目を疑った。が、それくらいの距離ということだろう。
マジか。ほぼ半日か。エコノミー症候群で死なないだろうか。休憩もあるらしいから何とかなるか。
不安はあったが、安さには代えられない。気をつけていればきっと大丈夫だろうと思うことにし、移動手段がついに決定した。
ツアープランは以下の通り。
- 1日目:夕方に北海道から大阪へ飛び、到着後にバス乗車、車中泊。
- 2日目:早朝、鹿児島到着。企業説明会に参加後、夜にバス乗車、車中泊。
- 3日目:早朝、大阪到着後に北海道まで飛行、帰宅。
なんという、鬼のような過酷さだろう。金欠のケチ学生が知恵を搾るとこうなる。だが、今後もお金は必要なので手元には多く残しておきたいという意見だ。
車中泊なんてほとんど寝て過ごすようなものだから、どうせ体感時間は大したものではない。まだ21歳、若いんだから2日間の寝心地の悪さや体の痛みくらい耐えろ。
そう自分に言い聞かせて、私は初めて航空券とバスチケットの手配を不慣れな中で行い、このハードすぎる旅に挑むのであった。
初めての大冒険、幕開け前から波乱。
出発の日。大阪へ向かう飛行機に乗るべく空港へ向かったが、いきなりアクシデントが襲いかかる。
時は1月、地元の北国は真冬だ。その日、不運なことに記録的な大雪で、ほぼ全ての便が滑走路の除雪作業のために、定刻から大幅に遅延していたのだ。
一応、余裕を持って移動スケジュールは組んでいた。あまり方向感覚が良い方ではないので、行ったこともない土地でスムーズに動けるとは思えかったからだ。
しかし、予定が狂うことを考慮していたとはいえ、さすがに狂ってもいい限度がある。起きても構わなかったのは多少のトラブルであって、こんな大きなものまでは想定していなかった。
降り続く豪雪と、鳴りやまないお詫びのアナウンス。出発時刻が過ぎてしまう。私が乗る便も、他の便も、搭乗開始の案内がいつまでもない。
もしかして、出発すらできずに終わるのか。そんなむなしい展開だけは、頼むからやめて・・・
宗教など信じてもいなかった自分がどの身分で祈っているのか。でも、誰に届くわけでなくとも祈らずにはいられなかった。
もうこれ以上遅れたらアウトだというその時、何の奇跡が起きたのか、
「関西国際空港行き○○便ご搭乗の皆様、大変お待たせいたしました。機内へご案内いたします」
という声が空港内に響いた。
私が乗る便だ。
良かった、何とか出発できる・・・という安心も束の間、関空に着いて終わりではない。すでに大幅なタイムロスにより、次のバスには乗れるか乗れないか一刻を争う状況だった。
もし間に合わなくてバスが発車した後だったらどうしよう。知らない大阪の夜の街中に一人で取り残されたら?空いている宿が近くにどこにもなかったら?北海道のように雪は降っていなくても、冬の一夜をどうやって過ごしたらいい?
大きな恐怖が押し寄せる。飛行機の座席のシートベルトを締める作業が、とてつもなく重い行為に思えた。この金具を留めてしまったら、私は逃げたくても逃げられなくなる。
離陸直前となり、降りて逃げ出すことは叶わなくなった。
これからどうなるんだろう、
怖い、まだ待って、飛ばないで―――
そんな私の気持ちなど知らず、飛行機は動き出し、故郷の大地を離れ、夜の空へと飛び立っていく。
この場から動けない。誰にも頼れない。一人になるって、こんなに不安で寂しくて恐ろしいことなのか。
暗闇に呑まれるような孤独を、私は初めて知った。
機内では5秒に1回くらいのペースで時計を見て過ごした。「バスには間に合うのか」、こればかり考えながら。
まるで永遠のように思われた空の旅も終りを迎え、ついに運命の時。
飛行機を降り、事前に何度も確認して頭に叩き込んだバス乗り場への経路を、知っている道を行くかのように迷いなくダッシュで走る。
たどり着いた発車数分前、私の到着を待っていたという運転手と無事に対面し、焦り倒した苦労も報われて鹿児島行のバスにどうにか乗車した。
乗れた・・・最初の峠は越えた。
座り心地が良いわけでもない、すきま風の入る窓際の寒い座席で、私は意識を手放した。
来たぞ鹿児島、勝負の日。
夜が明けて朝の6時頃、私は鹿児島の地に初上陸した。同じ日本であるのに北海道とは全く違い、春のような暖かさだった。昨夜の緊張状態から一転し、近い将来住むことになる場所に来られた嬉しさもあって心が癒される。
しかし、勝負はこれからだ。やってみたい仕事を発見し、就職の足がかりとなる成果を何としてもつかみ取らねばならない。
しばらく駅の中や町を歩いて気持ちを落ち着かせ、イベント開始までの時間を過ごす。県内といえどもだいぶ離れた所に住んでいた相方とは会えなかったが、私がこの地にはるばる来たことを喜んでくれた。彼女の存在があるだけで、何でもできそうな気がする。
「行ってくる」「頑張ってね」とメールを交わし、いざ会場へ乗り込んだ。
いい仕事との出会いに期待したが・・・
運営者から開会の挨拶があり、大勢集まった学生たちはそれぞれ好きな会社の話を聞いて回る。私も、事前にチェックした何か所かを回り、担当者から説明を受けていた。
・・・が、どういうわけか話が右から左へ流れていく。集中して聞いているはずなのに私は一体どうしたんだと、顔には出さないように心の中で動揺を抑える。
「弊社ではこういった事業を展開中、鹿児島県内のシェアが何%、生産から加工・出荷までをどうこうして、地域に根ざした何とかがどうたらこうたら・・・」
どうしよう、どれにも興味を持てない。
感情移入もできないし、働いている自分をイメージすることもできない。
それもそのはず。心からやりたいことではないのだから。いくら就職に対して前向きになろうとしたところで結局は、どこかの会社員になりたいわけではない。ここで聞ける話、ここで得られるものを、私はどれも求めていない。
説明会では質問を必ずするようにと進路指導の教員からしつこく言われてきたが、興味を持てないので解決したいほどの疑問もなかった。
もはや、意欲のなさ丸出しではないか。
それに出身大学を聞かれて北海道から来たと知られれば、こんな遠くまでわざわざ来た理由は何だと必ず尋ねられる。
何だっていいじゃないかと反論したい気持ちもあったが、ここは就職活動の場だ。就職を理由にしていなければ絶対におかしい。でも、どこにもそんな理由がない。
馬鹿正直に「音楽を一緒にやりたい相手が住んでいるから」などと口走るわけにもいかないし、「御社に興味があって」というあからさまな嘘もつけない。
苦し紛れに「大切な友達がいる」と、何の面白みもない個人事情を答えれば、期待はずれのような苦笑いをされるだけ。
(ここは、私が居てはいけない場所だ。)
そう悟る。私のような、やる気のない人間が参加していいイベントではなかったのかもしれない。
「だめだ、意地でも興味を持て。この地に引っ越すんだろう。相方と夢を叶えるんだろう。何のために遠くから大金を払ってここまで来たんだ」という義務感と、
「嫌だ、やりたくないことのために自分を偽ってまで苦労したくない。仕事は他にもたくさんある。この中から選ばなくても、最終的に職を得られればいい」、そんな本音。
ふたつが心の中で戦い、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。
頭が、パンク寸前だ。
説明会終了まで、まだ2時間以上残っている。にもかかわらず、私は会場を逃げるように去った。
弱すぎた自分に絶望するも、これでは終われない。
知らない人が行き交う知らない町の中で一人、打ちのめされた思いで立ち尽くす。
私は、他の学生たちが普通にやっていることすらできない、情けない人間なのか。私の夢は常識はずれの、おかしいものなのか。
何をする気も起きず、無駄な時間を垂れ流す。こうしている間にも、チャンスの期限は終わりに近づく。せっかくここまで来られたのに、途中で投げ出して何も得られず帰ってしまうなんて―――
そう考えた途端、それは嫌だという強い思いが心の底から湧き上がってきた。
これは間違いなく後悔する。少なくとも、逃げたまま終わりたくはない。まだ時間はあるから、もう少し企業の話を聞いてみよう。
急ぎ足で、会場へ引き返した。だいぶ時間は経ってしまってが、決断に必要な時間だったと思うことにしよう。閉会が迫る中、なんとか滑り込んで1社の説明を聞き、旅の目的を終えた。
結局、最後に聞いた説明もいまいちピンと来ず、イベント全体を通して選考試験などにつなげられるような成果は得られなかった。それでも、完全に投げ出さずに引き返すことができた自分のことは、少しだけ褒めてやれる気がした。
成功ではなかったとしても
帰りの車中泊から家までの長い道のりは、肩の荷が降りて力が抜けたのか、ほとんど記憶に残っていないほどあっという間だった。
良い結果とは言えない就活一人旅だったが、嬉しかったこともある。北海道へ戻る飛行機の中、客室乗務員の女性が笑顔で「旅の記念にどうぞ」と、空飛ぶ飛行機の写真のポストカードを配ってくれた。
とても救われた気持ちになったのを覚えている。苦労して長旅をしてきたのに何もうまくいかなかった自分の、全てを労ってくれたようだった。誰も自分を知らない、味方など一人もいないように感じられた旅の終わりに、寄り添ってくれる人がいた。
それだけで、行って良かった、やり遂げた、そう思える3日間になった。
貯金を大幅に失い、今後の説明会や就職試験のたびに鹿児島へ通うのは困難になって、新卒で鹿児島に就職する計画は望み薄となった。現実の厳しさ、自分の弱さや本心と向き合い、孤独の重さも知った。
予想以上に成果がなくてショックだったが、次の手を考える上できっと良い資料になる経験だ。残念な結果ではあったけれど、これも収穫と思って、戦略の練り直し。
絶対に、諦めはしない。