⑨「私の歌を聴きなさい!」

なんかすごい人が来ましたこわいです。

春になり、大学2年生になった。我が部はベースが上手な後輩を一人迎えたが、ドラム担当だった先輩が卒業したため、ボーカル・サックス・ギター・ピアノ・フルート・ベースという構成に。

顧問がいくつか楽器を扱えたのでたまに助っ人でドラムを叩いてくれたが、学生のみでの練習日は打楽器の類なしで演奏していた。

 

学年が上がって少し経ったある日の練習中、見たことがあるようなないような、上級生と思われる男子がスタジオ(我が部の部室にあたる練習場所)に来た。

前からいた部員たちは彼を知っていたらしく、普通に挨拶をする。しばらく就職活動で忙しくしていたようで、練習で会ったことは一度もなかったが同じ部で元部長の4年生だった。

そういえば入学した日にこの人から部活勧誘のビラをもらったような・・・?

おぼろげな記憶を辿り、もしかしてその時の人かと思ったらやはりそうだった。(入部当初の部長は代替わりしたばかりで別の男子部員だった)

ドラム不在になるかと思われたがちょうど彼も打楽器全般担当らしい。多忙が落ち着いたのだろうか、部に戻ってくるような雰囲気で、バンド最低限の要素は欠けることなくこの年は活動できそうだった。

 

彼の印象はというと、全然笑わないし声のトーンも淡々としていて無機質な、少し怖い人という感じであった。

その怖そうな人と、顔を合わせてすぐ一緒に演奏することになった。前回の楽しい初セッションのように穏やかではなく、やや緊迫した空気。

レパートリーを増やすために新しく覚えた曲を歌う。怖かったが、部員の中で歌えるようになっていたことで少し自信がついたのか、初めての合奏にはハードルをあまり感じなかった。

 

しかし、それは最初だけだった。ドラムのテクニックが今まで見てきた誰よりも高く、少し叩けるような人たちとは比べものにならない。素人目線でも分かる。プロの演奏を見ているようだった。数曲を演奏した短時間のうちに、私はすっかり彼に圧倒されていた。

練習が一段落した後、ミーティングから流れで雑談に入ったときに音楽の話をいろいろされたが、知らないジャズバーやミュージシャンらしき人の名前がいろいろ飛び出してきて、内容がよくわからない。

なるほど、次元が違う人だ。

加えてハイレベル。今年はこの人とやっていくのか、ちょっと気が重いかもしれない・・・。

すっかり萎縮してしまい、歌いたい気持ちのメーターが下がっていくのを感じた。

 

すごい元ボーカリストもいたらしいです。

夏にかけて、立て続けに3件のライブ予定が入った。「ついにきた・・・」と思う。市内で毎年恒例の野外音楽祭・式場での余興・オープンキャンパスでの部活紹介という順だった。

初ステージとなる野外ライブが、規模でいえば一番大きい。それに、3つのイベントの出演日が1週間おきくらいの間隔という、ややハードスケジュール。参加はそれぞれ任意となり、1つだけ・2つだけにしておくメンバーもいたが、私は3つとも出ることにした。

夢のため、限られた大学生活の中で、チャンスはできるだけ掴まなければ。これが将来仕事になったら、ハードだなんて言っていられない。練習もおそらく厳しいものになるかもしれないが、この際だ、今のうちに苦労を経験してしまえ。

不安な心に鞭を打って、私はこのステージデビューに立ち向かおうと決めた。

 

ライブが決まって練習日も増え、部員たちと一緒にいる時間も長くなる。当然話すことも増える。

時々、先輩たちが過去の部活の様子や元部員との思い出などを話していた。ほとんどが私の入部前のことだったのでわからなかったが、あるとき興味深い話題が出た。

1年上の先輩に、ボーカルを担当していた女子部員がいたと聞く。どんな人だったか、どれほどの実力者だったのか、当然気になるところであった。

彼女は長期の海外留学中だったため私が入部した当初は不在で、同級生たちも彼女には会ったことがないようだった。少しの間活動を共にした先輩たちの話では、幼いころから声楽をやっていて相当な実力の持ち主だったという。

 

私の前に、すごいボーカリストがいた―――

 

その事実を知って、自分の歌がとたんに低レベルなものに思えてしまい、再び全体練習で歌うのが嫌になってきてしまった。力のある人の後釜として入ったのが私で、不足すぎるのではないだろうかと不安が募りだしたのである。

シンガーになりたくて、中学2年の頃から6年近く歌の練習はしてきたが、所詮は独学だ。適切な声の出し方、喉の使い方などといった基礎から習って覚えたものではなかった。

元々いた歌のスペシャリストから独学の素人に変わって、レベルが落ちたと思われていないわけがないはずだ。今は桁違いにレベルの高い先輩もいる。なおさら、前のボーカリストに見劣りする下手な歌を聴かれたくない。

 

幸い、特に厳しい批判はされていなかったが気を遣われているだけなのではないか。力不足で刺激不足、そう思われて嫌がられているのではないかと、引け目を感じてしまった。

部員の中で歌えるようになった程度で、少しでも自信を持った自分が恥ずかしくなった。以来、思うように音がとれないことが増えて声を出すのも苦痛になり、せっかく前進しかけたところで早すぎるスランプに陥った。

もう少し大きな声で歌うように何度も言われたがうまくいかず、メンバーを困らせる。

「ボーカリストそのものが違うのだから前任者を意識しすぎることはない」「歌の上手・下手は聞き手によって異なるものだ」とフォローされたが、逆に余計みじめに思えてしまって自信が戻らない。遠まわしに「下手でも我慢する」と言われているのだろうか、と歪んだ解釈をしてしまう。

迷惑をかけたあげく気を遣わせた罪悪感でさらに自己嫌悪。ライブを控えているというのに、このままでは私のせいで部の演奏が台無しになる。しっかりしなければと思うも、歌い終わるたびに次は何を言われるんだろうと、自信は減る一方。

少し、負のループに入り始めた。

 

自信を持てる魔法の呪文!?

萎縮と劣等感。歌うたびにうまくいかない自分に落ち込み、迫りくる本番に焦る日々。しかし、この停滞を抜け出すタイミングが訪れる。

 

特にうまくいかなかった日の練習の合い間、ギター担当の部長と二人きりになるタイミングがあった。彼は入部する前から優しく接してくれた1年上の先輩で、話しやすい人だった。

今まで良かったのに急に歌えなくなってどうしたんだと言われ、正直に打ち明けることにした。どうしてもドラムの先輩が怖くて緊張するし、前のボーカルの人に引け目を感じて自分に自信を持てません、と。

意識してしまうのは仕方ないけれど気にしすぎることもない、そう励ましてくれる部長。

(そうは言われても、自信を持っていいようなレベルじゃないことに変わりはないからなあ・・・)

私が納得せず、後ろ向きな思考のままでいることを察したのか、彼は笑って続ける。

 

「せっかく歌えるんだから、“私の歌を聴きなさい!”というくらいの気持ちで歌ってみなよ」

 

何だそれは。とてもそんなこと思えそうにない。けれど、もしできたらかなり気が楽になれるかもしれない。

・・・だまされたと思ってやってみようか?

 

モノは試しだ。じゃあそう思いながら歌ってみるので1曲伴奏してくれませんかと言えば、彼は快く引き受けてくれた。

 

私の歌を聴きなさい(やはり下手だ)、私の歌を聴きなさい(いつもこの音がうまく出ない)、私の歌を聴きなさい(これで人前に出るなんて)・・・

 

ネガティブをやめようとしない自分と猛烈に戦いながら、半分やけくそで歌いきった。依然として満足できない仕上がりだったけれど、不思議とすっきりした気分。なんとなくつきものが取れたような感覚がある。

いいじゃん!と喜ぶ部長。表情も声の強さも全然違ったと大絶賛してくれている。

(なんかよくわからないけれど褒められた?)

 

これからはずっと今みたいに歌えばいい、そう念押しされて全体練習が再開される。自分には味方もいると再認識していくらか安心し(最初から誰も敵ではない)、気が重いままだが歌に臨む。

自信を持てなくても、気休めだとしても、「私の歌を聴きなさい」と呪文のように心の中で唱えながら歌うようにしてみた。すると驚くことに、特に注意されなくなった。

悪すぎる個所がなくなり、可もなく不可もなく的な状態くらいには持っていけたということなのか。駄目なままだとしたら重ねて注意されるはずだから、少しは改善できたとみなされたのだろう。そう解釈することにし、どうにか悪循環を断ち切って持ち直した。

自分で選んだ道。逃れられない。やるしかない。今のボーカリストは私。私だって歌える。

心が折れないように、無理やりにでもそう思いながら。

 

このときは「とりあえずこう思うようにすればいい」としか考えず、未熟でも自信を持っていいと言われた理由を理解できなかった。人前に立つのだから高いレベルでなければいけないと思っていたからだ。

そもそもその考えが違うことを、きっと部長も他の仲間たちも伝えようとしてくれていたのだと、10年以上たった今では分かる。「うまいか下手かではなく、その人であることそのものが価値であるから自分という存在にまず自信を持て」、そう教えたかったのだと・・・。

 

初のステージ…は、いつ?

ついに最初のライブ当日。・・・のはずだったが、なんと天気は野外イベントの大敵、雨。

はじめは小雨だったため様子を見ることになったけれど、開演時間が近づいてから本降りになってしまい、やむを得ず中止となった。

 

不完全燃焼ながらも、まだ2つのライブが控えているから次を頑張ろう、と切り替えたが間髪入れずに再び不運が訪れる。

2件目、式場での余興出演が数日後に迫る日、部長から緊急ミーティングの連絡。集まった部員達に、余興の件は主催者の都合でキャンセルされたため白紙になってしまった、と伝えられた。

またしても、ライブがなしになったというわけだ。

立て続けの中止に、重い空気が流れる。まだあと1件残っているとはいっても、部員の中には出ないメンバーもいる。今まで費やしてきた時間がほとんど無駄に終わり、報われなかった悔しさや虚無感をそれぞれ噛みしめていた。

 

そして、私も同じだった。今までなら人前に出るのが嫌だからその練習も嫌で、やらなくて良くなればホッとしていたのに、今回は違う。

初めて観客を前にするのは不安で怖かったけれど、覚悟を決めて日々の練習を耐え、未熟なりに全力を尽くして良いものを届けたいという思いで情熱を注いできた。その成果をやっと見せられる機会は少なからず、待ち遠しかったのだ。

突然、二回も本番直前で無になって、歌える場への飢えは限界に来ていた。これで終わりたくない、この喪失感をもう味わいたくはない。もはや私の気持ちは今までの自分からは考えられない、「早く歌いたい」という意欲に満ちたものになっていた。

 

オープンキャンパスは学内のイベントなので出演できることはほぼ確定している。この持て余した情熱をぶつけ、何としても無念を晴らしたい。

悔しい出来事に見舞われたが、思わぬ形で私の心は良いコンディションに持っていかれ、最後の希望に向かって闘志を燃やすことになった。

 

今度こそ、初のステージ。

オープンキャンパス当日。室内で、あらかじめ組まれたプログラム。天候も急なキャンセルも心配することなく、私たちは部室から会場へ楽器を運び込み、軽くリハーサルをして無事に出番を待つところまできた。

この日の編成は男4人に紅一点の私。仲の良い同級生たちはいないが、自信を持つ呪文を授けてくれた部長はいる。あの怖かったドラムの先輩もいるけれど(だいぶ恐怖心は薄れていたので過去形)。

 

待ち時間、ずっと体が震えるのを感じていた。夏なのに、寒さで凍えているかのように歯がガタガタいっている。呼吸の仕方もよくわからない。早く歌いたいけれど、早く終わりたい。

これから 人前に 立つ。

それだけが頭を支配する。気を確かに持て、これが将来の仕事だ、と自分に言い聞かせながら、初めて大勢の前で歌うという未知の挑戦に対する緊張の中、なんとか平静を装う。

 

間もなく演奏時間というとき、場を和ませるためか知らないが、冗談など全く言わないと思われたドラムの先輩がおもむろに、「俺、二日酔いだから演奏中にリバースするかも」と真顔で言い放つ。

・・・は?

一瞬理解が追いつかなかったが、すかさず他の男子部員たちが「ある意味パフォーマンスになりますね」「そんな伝説生まなくていいです」「かまわず演奏し続けますから」などと口々に返して笑いが起き、私も初ステージの不安とは別の不安が生まれ、妙な形で緊張を吹き飛ばしてもらった

・・・わけでもないが、いくらかは落ち着いた。この仲間たちがついているから、怖いけれども楽しめそうだ、と。

 

―――ジャズ研究部の皆さんによる演奏です―――

ナレーションが入り、ついに、本当にこの時が来た。自分のものでなくなったかのように硬くなっている足で入場し、ステージの真ん中に立つ。

 

舞台に、立ってしまった。

 

体が芯から震える。マイクを持つ手も震える。心臓がものすごい速さで脈を打つ。体が固まって骨の軋む音がしそう。

だが成果の見せどころを求めていた。人前に立つつもりで今日までやってきた。

見渡すと観客は、見学に来た大勢の高校生と教授たち、行事運営の在学生数名。大きめの会場が満席近くになっていて圧倒されるが、ホームの環境だ。

「これから何をやってくれるんだろう」という、興味を持っているような視線を感じる。よく顔を合わせる教授の一人が、驚いたような表情で私を見ている。人前で歌うようなキャラに見えなかったのだろうか。いい意味で、そのイメージを裏切りたい。

(あれ、こんなことを考える余裕がある。もしかして、大丈夫かもしれない・・・?)

 

記念すべき初舞台ソングは「Lullaby of Birdland」。何度も練習して、歌いなれた曲。今までの厳しい道のりを耐えてきたことも自信になっていた。

失敗したらどうしよう、やはり怖い。不安が最高潮。でもそれ以上に、感じたことのない高揚感。

ずっと憧れて、やってみたかったこと。やらずにあきらめて後悔し続けてきたこと。やっと、ステージデビューが叶う。夢に一歩近づく。

緊張するけれど、ものすごく楽しみに感じるこれからの時間。

早く歌いたい。

自信をつけるためのお守りのように唱えてきたあの言葉が、初めて本心から湧き上がってくる。

 

さあ、私の歌を聴きなさい!

短いイントロが始まり、すぐに歌に入る。

音質の良いマイクとスピーカーで、嫌というほど聞いた自分の声が、ここへきてまったく知らない人の声のように聞こえる。

(こうして聴くと私の声も悪くないものだな・・・)

一音一音発するたびに、顔が熱くなっていくのを感じる。変に見られていないだろうか。

緊張で喉が閉まり、高めの音が少しきつい。でもなんとか出せる。歌うのはこの1曲だけだ。勢いで押し切ってしまえ―――

1コーラス目は注がれる大勢の視線に呑まれそうで、とにかくその場に立って歌いきることに必死だったが、部屋に響き渡る自分の歌はやや震えてはいるものの問題なく聴けるクオリティのように思える。

 

歌えている。人前で。

 

そう気付いた瞬間、ステージ上まで離さず持ちこんだ不安や恐怖が一気に吹き飛び、舞台の真ん中に立って歌っている時間がとてつもなく楽しいものに急変した。

「人前で歌える自分になれた」という達成感、そして、求められてこの場に立っている喜び。

 

ここで歌えてうれしい、そんな気持ちに満たされる。

 

カラオケとは全然違う。今まで人前で歌う訓練として行っていたが、所詮は各々が好きな歌を歌いに行くのが目的なわけで、自分の歌など特に求められてもいなければ大して聴かれもしない。私が歌っている間は、みんな自分の番を待つだけなのでいつも退屈そうにしている。

いくら歌うことが好きとはいえ、カラオケでは基本的に歌い終わりを待たれているという点が、私にはどうにも虚しく思えて仕方なかった。

しかしステージはそうではない。自分たちの演奏を依頼されて出る。今回はあくまでもメインは大学の説明なので、決して我々の演奏目当てで集まった観客を相手にするわけではなかったのだが、少なくとも運営側からは求められて立つことになった舞台だ。

初めて誰かに望まれて歌っている、歌ってもいい、その事実だけでも嬉しかった。

望まれて、好きなことをする。

これが、生きがいというものか。

 

楽しくなってしまえば時間は驚くほど早く、歌い終える頃には名残惜しささえ感じた。

(やりきった・・・)

教授たちが最前列で満足そうに大きな拍手を送ってくれる。他の人たちも同じように、こちらをみて拍手をしている。

なんだか、歌を好きになって今日まで続けてきた自分の人生そのものを価値あるものとして認められた証のようだ。

 

人前で歌うことがこんなに楽しいものだったなんて。好きなことをして認められることが、こんなに幸せだったなんて。

 

苦難の方が多かったけれど、今この場所に立って歌いきって、「やってきてよかった」とすべてが報われたように感じる。

歌の出来は完璧ではなかったが、及第点くらいはあげてもいい。それよりも、初ステージを楽しめたことの方がずっと、自分にとっては大きな進歩に感じられる収穫だった。

メンバーもそれぞれ今までの練習の成果を出しきり、二日酔いドラマーによる要らないリバースのパフォーマンスもなく(家でやったらしい)、無事今回のステージは成功に終わった。

 

閉会後、共にステージを終えた部員たちと会場の片づけに戻ると、残っていた教授や話したことのない学生たちからたくさんの好評が飛んできた。(中には「お酒が欲しくなる声だね」というよくわからない褒め言葉もあった)

初めての体験の数々で膨大なエネルギーを消費し、やや放心燃えカス状態になっていた私は、現実だけど現実でないような不思議な世界にいる感覚で寝起きのようにボーっとしていたが、褒められて幸せな気分になったことは覚えている。

身内だからこその甘い評価であっても、好きでやってきたことを認められたというだけでとても嬉しかった。

心の中で、遠くに住む相方に「私、やったよ」と報告する。いつか二人でステージに立って、この幸せを分かち合う日々が来ると思うと、楽しみで仕方ない。まだ課題はたくさんあるけれど、今回の成果と未来への希望を原動力に、立ち向かって乗り越えていこうと改めて決意した。

 

さて、次の試練は何が来る。

Lullaby of Birdland(邦題:バードランドの子守唄)