そういや、私の魅力って?

音楽の道を志すことに決めてから、勉強も兼ねてラジオやインターネットで幅広く音楽に触れるようになった。その中で好きになり、憧れるアーティストも増えていったものだ。皆それぞれ個性があり、違う良さがある。知れば知るほど、好きになる。そんな人たちは共通して、人を惹きつける「魅力」というものを持っていた。

そこで私は、ひとつの疑問にたどり着く。

 

みんないいけど、私の良さは何だ。

高校生になってからよく考えるようになったことだ。上手に聞こえる歌い方もある程度覚えてきて、言葉を書いたり気持ち良く感じる音を作ったりすることにも慣れてきた。けれど、自分にしかない魅力は何なのだろう。

もっと優れた表現ができる人がたくさんいる中で、自分が選ばれる決め手となる理由、つまり魅力となりうるものは何か。大衆にインパクトを与えられる武器を、私はどれだけ所持しているのだろうかと・・・。

 

もちろん、自分と似通った人はいても全く同じ人などいないので、自分が持っているものや作るものは全て自分だけの個性であり、「自分である」ということがすでに魅力である。別物どうし比べるものではない。

それにまだ音楽作りを始めて年数も浅く、自分の世界が確立される段階にも至っていなかったし、歌で正式に人前に出たこともないのだから、フィードバックもなしに自分を見た人がどう思うかの判断などできるはずもなかった。

 

考えるには時期的にも内容的にも適切ではないことだったのだが、当時の私は何事も優劣をつけて価値判断をする癖があったために、上にいる人たちを見て自分に劣等感を抱き、悩んでしまった。

 

声が、アカン。

曲作りにおいては、始めたばかりなので未熟な部分はこれからいくらでも伸びる可能性がある、と割り切ることができた。しかし、努力でどうにもならないものがある。それが声だ。

声だけは、変えることができない。歌う上で必要不可欠なものなのに、声に特徴がない(と感じる)ことが私にとって一番のコンプレックスだった。

 

歌唱力向上のために常日頃、録音して自分の声を聴いていたが、私は自分の声が好きではなかった。どこにでもあるような、これといって特徴もない、記憶に残らない声が。

好きでないと言うより、「自分の好きな声質に当てはまらない声だった」というのが正しいだろう。

世のシンガーたちは、一度聴いたら忘れられないような魅力あふれる声を持っている人ばかりだ。そんな、声だけで惚れさせる歌手に憧れを抱いていたこともあり、彼らの声は自分のそれよりもはるかに優れたものに感じられた。

さらに、高校生になってから出会った未来の相方(第四話参照)も例に漏れず、印象的な、とてもかわいらしい声の持ち主だった。系統でいえば西野カナのような(現在は知らない世代もいるのだろうか)、まさに女の子といった声で、声優を目指しているのかとよく言われていたらしい。

比べて自分自身の声には、惹かれる要素がどこにもない。女の子らしいかわいさもなければ、男前さに振り切れているわけでもなく、元気にあふれてもいない、極端に陰があるとまでもいえない。

 

これで、どう勝負していくんだ、と思った。

いくら良い歌を作れるようになっても、自分の声が加わることで味が消え、台無しになってしまう。将来は相方と二人で歌っていくのだから相方に助けてもらってもいいが、やはり自分の作った歌は自分が中心となって歌いたい。

声色を変える技術を習得する道もあるのかもしれないが、偽りの声で歌っていくのも違う気がする。

歌いたいのに、こんな声では恥ずかしい。でも歌うなら、この声を使うしかない。受け入れたくない現実だった。

声は選べない。なぜこんな声なんだ。どうして私には魅力的な声が与えられなかったのだろうと、人をうらやみ、自分を嘆くばかりだった。

 

とらわれるより、受け入れるべきだった。

この頃の私は、[自分の好みの声=良い声]という認識が強かったために、自分好みの要素を持たない自身の声がひどくつまらなく、良さのかけらもないもののように思えてしまっていた。自分の感覚だけで、良し悪しを決めつけていたのだ。私ひとりの考えが、大衆の基準にでもなっているかのように。

世の中には当たり前だが、自分と同じ感覚を持った人しかいないわけではない。当時の私と同じように、私の声を悪いと思う人も一定数はいるかもしれないが、そうでもない人やむしろ好んでくれる人、そもそも興味すら持たない人だっている。

実際に人前に出る経験を積んだ32歳の今だからわかることだが、まさにこの通りであった。たかがひとりの感じ方が、大勢いる人々の基準になどなりえないのである。

 

それに、持っているものを受け入れずに現実から目をそむけていては、あるかもしれない良い面すら認識することができない。

現に、声に特徴がなくたって使える場面はたくさんあった。主張が強くないおかげで穏やかな曲調との相性が良く、今では寝るときに私の歌を聴いているという言葉を頂いたりもする。

他にも、コーラスにおいては人とぶつからない、癖のない声はむしろ強みになり、誰と組んでも邪魔にならずに自然なハーモニーを作ることができる。自分を知らなければ長所にも気付けず、使い方も魅せ方もわからないものだ。

 

自分の声を誰に批判されたわけでもないのに、私は自分だけの狭い視野でしか判断していなかった。その上、まさか自分に良さがあるとも、自分を良く思う人がいるかもしれないとも考えずにいたのである。

 

実は空回っていた訓練・・・

同時期に、あがり症克服の訓練を積んでいたのだが(第五話第六話参照)、人に声を聴かれることが憂鬱なのは変わらなかった。

人前で歌うことへの抵抗は徐々になくしていけたものの、自分の声への不満は克服できなかったからだ。

緊張していてもうまく歌える曲を歌い続けて成功体験を重ね、うまくできた実績を自分の中に蓄積させることで自信を育てるという戦略をとってきたが、根本的な間違いを見落としていた。

自分の声は駄目なものであるのが前提で、そんな声を持つ自分が嫌い・・・この考えが最も自信を失わせるものだと、私は気付きもしなかった。

どんなにうまく歌えるようになっても、自分で自分を嫌っていたらいつまでも人前に出るのが嫌だし、納得などできるはずもないのだから。

自信を持つために必要だったのはうまくできた成功の記憶ではなく、生まれもったものを受け入れて否定しないという、自分への愛情であった。

 

「魅力」とは何なのか。

それは本来、人が見つけるものだけれど

しいて言うのなら「自分であること」を喜び、楽しむ姿を人に見せられることではないだろうか。