④ゆずれないものの為ならば

本気で達成したい目標ができたときの行動力というものは凄まじい。自分のどこにそんなエネルギーがあったのかと驚くほどの力を、いともたやすく発揮してしまう。

前回で夢を抱くことを知った私は、なんとしても叶えたいものをこの手におさめるべく、過去の自分をまたひとつ打ち破る。思い返せば、あの自分がよくあそこまで動けたものだなと感じてしまうほどだ。

 

ひとりでも 「好き」のおかげで しあわせだ。

音楽作りという好きなことが日常に加わり、中学生活の残りはすっかり楽しいものに変わっていた。誰に何と言われようと自分の意志でやりたいと思えることに出会えたおかげである。

しかし、そうは言うものの、すすんで「何か言われにいく」選択をするつもりはなかった。最高の楽しみを見つけたことで人生の目標はできたが、身を置いている現実が「人目を気にせず好きなことをしてもいい世界」になったわけではない。

つまり、自分の本心は隠すべきものであるという考えは変わっていなかった。

「好きなもの」は自分の「本心」。間違って人に知られでもしたらまた辱めを受ける。保身のために心を隠す癖は粘り強くしみついており、短い間だけ夢を共有したあの友人を除いて、自分の心には絶対に誰も踏み込ませないよう守っていた。

 

だがそれでも充分だった。学校の人々や家族の目を離れて(家族には勘付かれていたかもしれないが)、自室で一人音楽をする時間が毎日の楽しみであり、心の癒しになっていた。

歌の練習をしたり、詩を書いたり、ピアノで曲を作ったり。自分の本音を叶えてやれるひとときは、誰もが幸せを感じるものであろう。

自分で作るという点も、心の支えになる要素として大きかった。歌の中では、良い気持ちも、悲しい・苦しい・醜い・汚い、どんな悪い気持ちさえも自由になり、すべてが音楽という大好きなものに変わる。

そして他の誰とも違う自分だけの歌が生まれ、私という存在が、誰かと比較した優劣でなく絶対的な、本当の意味で価値あるものになっていく。歌を作っている自分は、いつも人に劣等感を抱き自己否定してばかりいた中で唯一、肯定できた自分であった。

外では人に心を開けなくても、音楽の世界ではありのままでいることを許される。心の居場所ができたことで、前向きに生きていくことができた。

 

でもやっぱり、相方がほしい。

そうこうしているうちに私は中学生を終え、高校生になった。悩みのタネであった近所の同級生女子とは中3の中頃から徐々に疎遠になり、卒業して完全に決別できたため高校生活はとても楽な気持ちで始められた。

新たな学校には派手な子が多くてほとんど同級生とは馴染めず、できた友達は片手に収まる程度だったが、常に人目を恐れて神経をすり減らすことも、優れた自分でいようと必死になることもなかった。

この年齢にもなると、人をバカにしたり思うがままにこき使ったりするような子もおらず、皆それぞれやりたいことに夢中になっていたからだ。

すすんで人と接しはしないが、目立たず静かに、穏やかに過ごせていた。自分の学力で余裕の合格圏内の学校を選んだおかげで成績も上位でいられたため勉強面の不自由もなく、放課後や休日は音楽に没頭する日々だった。

 

だけどひとつだけ、足りない。

将来シンガーソングライターになりたいとは思っていたものの、デュオへの憧れは依然として強く持っており、一人で歌いたいとは全く思っていなかった。私はどうしても、声でハーモニーを奏でたい思いを捨てきれずにいた。

 

大多数の子が高校生になって携帯電話を持つようになった影響か、同級生たちの会話の中でしばしば「メル友」という言葉を耳にするようになった(平成中期の懐かしワードである)。

聞くところによると、ネット上にメル友募集専用の掲示板があり、他人の書き込みを見て気が合いそうな人にアクセスするか、自分で募集要項を書き込んでアクセスを待つかして繋がった相手とやり取りを始める、というもの。無事仲良くなれれば、住んでいる場所に関係なく会話を楽しめるEメール交換相手という友達が出来るらしい。

これは使えると思った。身近にはいなくても、どこかにいる同じ夢を持った人と出会えるかもしれない。憧れのデュオを組む相方が見つかるのではないか。今は会えなくてもいずれ会えばいいだけの話。

私はわずかな可能性に賭け、さっそくその掲示板とやらを検索し、数ある中から栄えていると思われるいくつかを利用して、未来の相方探しを始めた。新たな書き込みを毎日確認し、自分からも募集をして、理想の相手との巡り逢いを待つ日々を送った。

余談だが、その過程で同じ夢ではないが普通の友達として仲良くなった子も多かった。顔が見えないことが幸いしてかなんでも話すことができ、会えない距離であっても気軽に本心を明かせる存在がいてくれることで少しずつ自分の考えに自信を持ち、人と接することへの恐怖心を手放していくことができた。当時知り合った中に、一人だけだが現在も付き合いが続く友人もいる(今ではLINE友達である)。

 

やっと巡り逢う、待ち望んだ人。

高校1年の秋、ついに待ち望んだ瞬間が訪れる。同い年で歌手を目指しており、さらにはデュオへの憧れがあるという鹿児島県在住の女の子と、私は出会った。

直感で、もうこれを逃したら次はない気がした。それまで実に50人以上と出会ってきたものの、「この人」と思える相方候補はおらず、自分とこんなにも求めるものが重なる彼女がいかに貴重な存在であったかは言うまでもない。

一刻も早く夢を叶えたい、今すぐにでも理想の未来が欲しい。

藁にもすがる思いで私は彼女に自分の夢を話した。すると、なんと彼女の方からデュオを組まないかと言ってくれたのだった。もちろん私は二つ返事で了承し、二人は将来を約束した。

北海道と鹿児島。まだお互いに16歳の、自力で生きるすべも持たない無力な子供。それなのに、不思議とどうにでもなる気がした。ゴールが決まれば手段はいくらでも見つかる。目的地へ向かえばいいだけの、単純な話なのだから。

 

一度はなくなった夢が、違う形になってまた戻ってきてくれた。

私はただ喜びに満たされ、大好きなものと共にある未来に大きな期待を抱くのであった。

 

加速していく 飢えた魂は解かれて

歌との出会いによって、抑え続けてきた強い自我が目覚めていたらしい。欲しいものをつかみ取るために、ずいぶんと行動的になった。

人に本心を見せたがらず、すすんで人とつながりに行くことなど考えられなかったというのに、相方を探す道のりは、まさに今までの自分を覆す真逆の行動であった。

それほどまでに私は、本心のまま理想を追いたいと思っていたのだった。私の人生、決めるのは私だと。

 

少しずつ、変わっている。

心を殺す生き方から、生かす生き方へ。