③奇跡の、軌跡。夢を見つけた。

偶然という言葉では収まらない、奇跡としか思えないような出来事を経験したことがある人はおそらくそれなりにいると思う。

のちの自分に変革をもたらす、転機ともいう。

生死を分けるような大げさなものでなくても、何気ない褒め言葉・勧められて読んだ本・予期せぬ部署異動など、きっかけを与えられて自分の可能性が広がったり隠れた才能に気づく体験もそうだ。変化の大小問わず、かけがえのないそれらの経験はどんなことでも、解釈次第でその人にとっての奇跡と呼ぶことができるだろう。

私が生まれて32年の間に何度か訪れた転機のうち、大部分は音楽に関係するものが占めている。中でも大きな三つがあり、すべてが中学2年の時に起こった。それらが今の自分をつくり、人生を決めたといっても過言ではない。シンガーソングライターを目指すことに決め、音楽が自分の中心になったきっかけである。

 

歌を、やってみたい。

前回までの話を読んでくれた人には、どうしてそうなったと思われるだろう。歌うのが嫌だった状態からこの変わりようは一体何なんだ、と。

実のところ、音楽というものはずっと好きであった。小学生の頃は親がプレゼントしてくれた電子ピアノの内蔵デモ演奏の数曲をよく聴いており、きれいな音の世界に浸って癒されるのが至福の時間だった。(ピアノを習っているわけではなかったので演奏には苦戦したが)

さらに校内の吹奏楽団にも所属しており、人間関係にストレスを感じつつも楽器の演奏が好きという気持ちだけで4年間続けられたものだった。

 

歌自体も嫌いではなく、むしろ興味さえあった。人目がある中で歌うのが大嫌いだったというだけだ。

その興味は、当時好きでよく聴いていたアーティストの影響だった。よく見ていたアニメの主題歌が気に入って好きになったRYTHEMと、クラスメイトからある日とつぜん何の前触れもなくもらったCDアルバムがきっかけで魅力を知った、ゆず。両者、二人の声でハーモニーを奏でるデュオ形式の歌手であった。

重要な出来事の一つ目はまさにこれだ。これらの出会いにより、彼らの歌を聴いているうちに私は、「こんな風に誰かと歌えたら楽しいだろうな」という小さな憧れを抱くようになった。そして、自分の好きなもの=音楽と共に人生を送りたい、そんな気持ちを少しずつ膨らませていた。

 

夢は自分でつかみ取る。

二つ目は、ある友人によって与えられた、現時点で人生最大と思える転機だ。私は「夢」という、生きる目的を見つけ、好きなものと共にある人生を歩むことを決めた。それまでの生き方では見つけることができない、隠し扉をあけるような経験であった。

人付き合いにやや難がある私だったが、ほんとうに、完全に孤独であったわけではない。当時のほぼ唯一といってもいい、心を開ける存在がいた。その者が、先に述べた重要人物である。一つ年下の女の子で、共通の友人を通して仲良くなった、いわゆる「友達の友達」だった子だ。

中学2年の冬ごろに、彼女は将来の夢について話してくれた。歌手を目指し、小学生の頃から歌の自作をしているのだと言う。

私には衝撃だった。自分の好きなこと、やりたいことに自信を持っているその姿が。どんなことも人に知られたらバカにされるとしか思っておらず、本心で生きる自信がなくて意志表示もまともにできなかった自分にとって、心から憧れる夢に突き進んでいる彼女はひどく眩しく、かっこよく見えた。

そんな彼女に触発されたのだろうか。誰かとデュオを組んで歌ってみたい、そんな憧れをずっと抱いていたところに、彼女が話した歌手になりたいという夢。

なんという、出来すぎた展開だと思う。

この幸運を逃してなるものかと、直感が訴えるのを感じた。

この子と一緒に歌えたら楽しそう。やってみたい。抑えきれない衝動のように湧き上がってきた思いだった。私も、彼女のように好きなことに打ち込みたい。やりたいことに自信を持って生きてみたい。挑戦、したい・・・。

 

「私も歌に興味があったの!よかったら一緒に夢を目指さない?」

 

気づけばそう口走っていた。人前に出るのが怖い、興味があるとはいえ歌は得意というほどでもない、なんなら将来に歌手を意識したこともあまりない、曲なんて作ったこともない。

足りないものだらけ、いやむしろ足りないものしかなかった。それでも、関係ない。はじめて自分から手を伸ばし、求めるものをつかみにいくため、私は閉じこもった心の外へ踏み出していた。

そしてなんと、彼女は私の言葉を喜び、受け入れてくれたのだ。私も、自分の心からの言葉を分かってもらえた嬉しさに満たされた。やりたいことをやってもいいんだ、好きなことを好きだと胸張って言ってもいいんだ、と。

まるで、初めて自由を手にしたかのような喜びだった。

それから私たち二人は、夢の話をたくさんするようになった。彼女の自作曲を聴かせてもらったり、歌う時の衣装を考えたり。盛り上がりすぎて夜遅くまで電話をしてしまい、親に注意されたこともある。大人の目も気にならないほどに、私たちは夢中だった。

 

自分自身で隠していた扉の向こう、そこで待っていたのは「人が何を言おうと、私は私の意志で好きなことをやりたい」という気持ち。

この夢が、ほしい。自分のために、生きたい。

彼女が気付かせてくれた。生きる意味を、私はついに見出した。

 

足りないものは足せばよい。

二つ目の延長ではあるのだが、三つ目は夢ができたことで私の日常が音楽中心の生活になり、好きなことのために情熱を注げる楽しいものに変わったことだろう。

まずは基本的なスキルを身につけるべく、独学で猛勉強を始めた。

私も歌を作れるようになりたくて、自分が持っている少ないCDに加え、親のCDも借りて歌詞を読みあさり、写経し、よくつかわれるテーマや1フレーズごとの理想的な文字数、美しく思える表現などを毎日研究した。

お金がない中でも知恵を搾って身近にあるものを総動員し、そして歌詞を書いてみては、彼女に出来を評価してもらったものだ。

歌の練習もするようになり、ラジオの音楽番組なども活用してとにかくプロの歌に触れ、必要とされる声域の広さの平均やうまく聞こえる歌い方を自分の脳に記憶させた。そして、学びをもとに歌った声を録音して聴き返し、理想と現実の落差に絶望しながらも改善していくことを繰り返した。

作曲に関しては、初めてであったが特につまずくことはなかった。むしろ、適性があったように思う。とりあえず聞こえた音の識別ができ、頭の中にイメージした音楽を原音で書き起こす程度のことはできたので、ふと良い和音やフレーズを思いついた時も音を探って迷うことがなかった。

さすがに0から1を生み出す作業となると少し難易度は増すが、昔からなぜか風景を見るとBGMが降りてくることが多かったので、そのメロディーをベースにして作っていくことができた。つまり、どういうわけか私は視覚と連動して脳内に音楽が聞こえる人間だったため(他人がどうなのかはよく知らないが少なくとも共感されたことはない)、曲を生み出す作業に不自由はせずに済んだ。

さらに吹奏楽をやっていたおかげもあり、さまざまな楽曲を実際に演奏してきたことで、曲の作られ方や音楽理論、曲調の数多くのパターンを勘のように覚えていた。子供特有の吸収力ボーナスだろう。

好きで、得意で、バリエーション豊富なインプットもある。これ以上ない好条件だった。

やる気は無限に湧いてくる。そうして学びと実践を繰り返し、試行錯誤を経て半年ほどで、拙いながらもなんとか歌を作れるようになった。

 

「好き」が彩る世界は続く。

しかし、私が歌作りに慣れてきた頃のこと。彼女は、病気で実姉を亡くした経験から看護師を志すようになり、歌手になる夢を諦めてしまった。

最初にその話を聞いた時はすぐに受け止められず食い下がったのだが、彼女の決意の固さを知り、その志を尊重すべきだと思い直すのだった。

二人の夢は束の間に終わりを迎えたが、私はというと、新たな目標を持った彼女を応援しながら、引き続き音楽の道を目指すことを決意していた。

というのも、好きでやっていたのだから当然であるが、すっかり音楽の世界にのめり込んでしまっていたからだ。

私の日常に音楽作りが加わったことで、世界は別物になったかのように色づいて見えるようになった。

雨が降る帰り道、眠れない夜に部屋から見る月、青空と雲と緑のコントラスト、雪景色の公園の静けさ、あらゆる景色に音が流れ、物語が浮かんでくる。

何を見るのも楽しい、毎日が刺激にあふれている。あれもこれも、私の歌にしたい。

覚えたての遊びにひたすら夢中になっていた。新たな景色も、変わりゆく季節も、全てがただ楽しくて仕方なかった。

人付き合いは嫌いなままだったけれど、私には好きなものがある。「好き」の存在は、私の支えとなり生きる原動力になった。

音楽はもう、私の人生にとって欠かせない、心の土台となっていたのだ。

 

この軌跡が、奇跡。

好きなものの存在は、心に大きな変化を起こした。

これのために生きたいという希望が生まれ、理想に近づくための努力を楽しみ、必要なスキルを身につけていけた上に、夢を失いたくない一心で別の道に進むことを決めた友人を引き止めるという、本心からの意志表示までもためらわずにしていた。

迷惑がられることを恐れて真っ先に本音を殺し、自己主張もできなかった自分が、本心を優先したいと思うようになっていた。そして、最初の夢は叶わなかったが好きなことを続けていく選択に迷いすらも感じなかった。

心から好きなことをする充実感を知って、人目ばかりを気にした窮屈な生き方よりも、本音を大事にする生き方を選びたいと、無意識下で変わっていたのだと思う。

 

この年に起きた大きなものは以上だが、思い返すと昔の出来事や選択さえも、すべてこの未来につながっていたかのように思える。

景色を見て脳内に音楽が聞こえる謎の仕組みもピアノも吹奏楽も好きになったアーティストを知るきっかけも友人たちとの出会いも、実はあらかじめ用意されていて、それぞれ相応しいタイミングで与えられることになっていたのでは、と考えてしまうほど。

奇跡と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。