⑤将来の備えをせよ【金と、自信が足りない。】

将来の音楽活動を共にする相方はできた。問題は住む場所の距離だ。私は北海道で相方は鹿児島という、見事な端と端であった。一緒に同じステージに立つことを考え、お互いすぐ会える距離に住む必要がある。

将来のことを話す中で、地元付近での活動もいいけれどやはりいつかは上京したいということになった。

とりあえず上京を前提としつつ、どこで会うことになってもいいように移動・移住のための貯金は必要だろう。というわけで、あまり気は進まなかったがアルバイトをしようと思った。

求人は大体が接客を行うものであり、人見知りの私にはハードルが高かった。しかし黙っていても金は貯まらない。仕事を選んでもいられないと思い、自分を変えるためにも勇気を出そう。これが将来の夢に繋がるのなら、いくらでも耐えてやろう・・・そう決意して。

 

そうだ、金を稼ごう。

高校2年の夏、私はついに人生初のアルバイトを始める。

結論から言うと、最初の勤務先は1ヶ月で辞めた。やってみようと思ったところまでは良かったが、何を思ったか回転寿司屋を選んでしまったせいだ。当時の私の性格に加えて、社会人のルールもよくわからないまま飛び込むには、この選択は完全に間違っていた。

寿司屋といえば、ネタだけでなくスタッフの活きの良さも重要だ。私が勤めた先も、活気あふれるおっちゃん・おばちゃん達(と、ヤンキー兄ちゃん・姉ちゃん)で構成されていた。

私はというと、自己主張が大の苦手で人目につくのも声を聞かれるのも嫌だった人間。初対面の人たち相手なら少しは明るい人間を演じられるかと思ったがうまくはいかず、スタッフとの会話もぎこちない、知っている人が来店したら嫌で客が来るたびに緊張する、おまけに苦手な環境へのストレスで笑顔も作れない。

いわゆる、ド陰キャコミュ障だ。明らかに寿司屋のキャラではない。自分の意志でやりたいことが見つかったというだけで、これらの欠点を克服できてはいなかったことを私は見落としていた。

当然、毎日のように怒られ(ヤンキーカップルはなぜか優しかった)、向いていなかったことを悟りすぐに退職したのであった。店側も厄介者が去って助かったことだろう。接客業に応募しておいて同僚や上司との会話すら怖がっている人間など、迷惑以外の何者でもない。

社会の厳しさと己の甘さを知り、私は出直すこととなった。

 

稼ごう…稼ぎたい…稼げない…

それでも諦めるわけにはいかない。寿司屋の退職から数か月ののち、高校の友達から結婚式場での料理運びのアルバイトを紹介され、簡単で土日のみという好条件を気に入って挑戦することにした。

基本的には料理を出して空いた皿を下げるだけであり、注文を受けて食事を提供する飲食店と違い「失礼いたします」の声かけ以外はほぼ接客の必要がないのも気楽で良かった。

休日のみのシフトな上、式の本数次第で仕事量が変動するため稼ぎは少なく不安定だったが、無理なく続けられる点が自分に合っているようだった。

しかし同時に、この調子で上京する資金など貯められるのかと少し先行きが不安になった。

続けやすいけれど稼ぎは少ない。早くお金を貯めるには多く働かなくてはならない。

通学しながらであり、音楽をやる時間も当然確保したい。音楽が優先順位のトップであることは揺るがなかった。となると、高校2年の自分にとっては休日のみの出勤が限界であり、それ以上は時間を削って働きたいと思えなかった。

大きな悩みどころであった。好きなものもお金も、両方欲しい。だけど限られた時間の中でどちらも手にするには、どちらかが犠牲になる。好きな方を取りたいという気持ちが勝ってしまい、将来のためとはいえ心からやりたいわけではないバイトに、どうしても感情を向けられない。

高校生のうちに貯金を作って卒業と同時に家を出られたら、なんて思っていたが、現実はそうもいかないらしい。給料を1円も使わずにいたとしても1年かかって15万円貯まるどうかといったところだった。

これは人生計画の練り直しか…と少しの絶望を覚えながらも、やらないよりはマシと思い、せめて在学中は自分のペースで働ける式場のバイトを続けて微量な貯金を増やすことにした。

 

人の前で、歌ってみよう…かな

もう一つ、私個人として克服すべきだと思っていた重大な問題があった。

人目に対する恐怖である。

歌うことが好きでも、人前で歌えないようではシンガーなど務まらない。徐々にでも、誰かに歌を聴かれることに慣れていかなくてはと、私はついに腹をくくったのだ。

真面目に歌ってバカにされた経験から中学2年以来、友達と行くカラオケは誘われても避けていたが、夢ができた以上、単なる遊びであっても立派な訓練の場。もう逃げるわけにはいかない。

それに、人がどう思うかはわからないが部屋で毎日歌の練習はしてきた。3年も経っているのだから、さすがにもうひどく笑えるような下手さではないだろう。

よく遊ぶ友達は何人かいたので、もしカラオケに誘われたら絶対に断らず、行くようにしようと決めた(自分から誘うほど勇気はなかった)。

 

誘いは意外と早くに来た。しかし相手がまた意外だった。初めて遊ぶ、高校の同級生二人であった。

「えー・・・。」―――その時の私の心境はまさにコレだろう。仲はそこそこ良かったが、歌を聴かせられるほど心を開けていたかといわれると肯定に迷いが生じる、そんな位置の子たち。

いや、逃げないと決めたのだ。シンガーを志す女・ユカ、ここで引いてどうする。覚悟を決め、この戦へ出ることにした。

入店し、受付を済ませていざステージ(という名の狭い部屋)へ。これから将来のために己のトラウマに立ち向かうのかと思うと、緊張と恐怖でおかしくなりそうだった。

さすがにトップバッターで歌う勇気はなく、友達の歌を聴きながら心を落ち着かせ、頃合いを見て自分も歌うことに決める。

そろそろ歌いなよ、と勧められ、ついに訪れた。自ら決意したのに心のどこかでは「このまま回ってこないでくれ」と願っていた自分の番が。

もう、退路は断たれた。向かうしかない。

 

己の敵は、己の中に。

曲を入れ、前奏が流れる。歌わなければいけない時が迫りくる。そして、歌に入る

・・・はずだったのだが、驚くことに、歌おうとしても声帯が音を出してくれず、声が出てこなかった。まるで声の出し方を忘れたような、不可解な現象が自分の身に起きた。

 

え、なにこれ―――

 

理解が追い付かない。黙ったまま、曲は進み、歌詞の字幕だけが流れていく。

ごめん、入るタイミング間違えた、と苦しまぎれの言い訳をして、友達二人が困惑するのを尻目に歌い直しの操作をする。

仕切り直して二度目の挑戦。今度こそはと意気込むも、また同じように私の喉からは音が発せられなかった。

 

怖い。また同じ目に遭うかもしれない。聴かれたくない。そんな思いが心を支配するのを感じる。

私の中、二人の私がせめぎ合うようだった。変わりたい今の自分と、逃げたい過去の自分。

 

こんなんじゃいけない。私は人前に立つ恐怖心を克服しなければならないんだから。そういくら自分を奮い立てても、断固拒否される。

歌おうとすると、過去の傷の記憶が一気にフラッシュバックして、そんな危険なことはやめろと警告でもするかのように、生まれ変わろうとする自分へと襲いかかる。

戸惑いと焦りが募る。どうしよう、歌えない。

再び私は、歌い直しの操作をおこなった。

ついに、時間がもったいないと苛立ったように言われてしまった。ただただ申し訳なくてひたすら謝り、次こそやり直しは許されないと自分を強く叱咤し、三度目のチャンスにかける。

大丈夫、笑うような子たちではない(かもしれない)、練習もしてきた。相方のためにも、乗り越えろ。自分だけの夢ではないんだ・・・

迎えた三度目の歌い出し。なんとか、声は出た。これで迷惑をかけずに済んだ、と安心するも、次の壁が待っていた。

 

自分の知っている声じゃない。

おかしいくらいに震え、音程がとれない。

 

なんで。家では普通に歌えるのに。こんなひどい歌唱力なんかじゃない。頼むから二人とも信じないで。聞かないで、記憶しないで。これは本当の私じゃない。はやく、この時間が終わって―――

 

曲の間ずっと、そう心で叫び続けながら、ひどすぎる歌を私は歌いきった。親しくなりすぎていなかったおかげか、特に歌に関しての反応はなかった。その後の記憶はほとんどない。

自分でも想像していなかったハプニングに振り回された揚句に失態を見られ、精神的ダメージが大きかったせいだろうか。

しばらく私は、ショックで落ち込んだ。笑われはしなかったが、恥はかいた。なんとか人前で歌うことをクリアし、とりあえず最大の壁は越えたというのに、新たなトラウマができたような心地である。

あんなふうになってしまうなんて。こんなに先が思いやられまくる状態で、慣れることなどできるのだろうか。

 

それでも道のりは険しくても、絶対にやめない。現実は絶望的でも、自分を知ることができただけ収穫だ。

憂鬱な思いは変わらぬまま、人前に立つことへの恐怖を克服すべく、今後もカラオケの訓練を続けることにした。

数をこなせば慣れるはず、今回は久しぶりのカラオケだったせいもあるのかも、次からは少しは改善されるだろう―――。心に決めた夢のために、そう信じていたかった。

 

余談:未来の自分通信【失敗でも、よくやった】

今の自分の状態ではいけない、変わっていこう。そう決意して、望む将来へ向かい踏み出した一歩目は、どれも決してうまくいっていない。むしろ大失敗ばかりであった。

歴史にも、誰かの記憶にも残らない、私一人の中だけの些細な出来事であり、誰が褒めるわけでもない、進歩とも呼べないようなものだろう。

それでも、どの一歩が欠けても私は今には至らなかった。私にとっては、すべてが大きな挑戦で大きな進歩である。

 

今の私が過去に戻れるとしたら、勇気を出して変わることを選択した昔の私を褒めてやりたい。

がんばってくれてありがとう、と。