「もっと楽しみなよ」「楽しむのが一番だよ」
歌を歌っていて私はよく、こう言われていた。部員たちのみならず、カラオケなどで私の歌う姿を見た友達や親からも。自覚はなかったけれど、見る人によっては表情がいつも硬く、自分を追い込んでいるようでつらそうに見えたらしい。
だが、彼らの「楽しむべきだ」という言葉の意味が、私にはさっぱりわからなかった。
楽しむより先にやることがあるだろう。
というのも、人前に出る者として最重要視すべきなのは「うまくやること」であると、当時(19歳)の私は思っていた。うまさ至上主義である。うまくできることが大前提という、自分の中での常識があったのだ。
求められるのは優れたパフォーマンスであるから、うまくできもしないのに自分がまず楽しむという行為は、その常識から考えれば正しいことではなく、自己満足でしかないように感じられた。
そのため、人に歌を届ける立場でいながら観客を楽しませるのではなく、ただ自分が楽しむことを優先するのは絶対に違う、観客をまるで意識していない、というのが私の意見だった。
それに、当時の私の中での楽しさの基準は、うまくできたかどうかだった。基本的に「うまくいくから楽しい、そうでなければ楽しくない」という考えでいた。
大学2年の夏に初ステージを乗り越えてから、その年は以降も何度か人前に出る機会があった。宴会場での余興、大学祭、クリスマスコンサートなどに出演し、どうにかやりきって責任は果たしてきた。
楽しく感じる瞬間はもちろんあった。けれどすぐに、うまくできていないという悔しさに変わる。楽しんでいいような出来ではない、と思ってしまう。
部活動だけでなく友達とのカラオケなども含め、人前で歌った回数すべてにおいて、自分が満足できるほどうまく歌えたと思ったことは一度もなく、私は毎回うまくできない自分が嫌でたまらなかった。
その場にいて仲間たちと演奏できた時間が楽しくても、自分の歌に対して残るのはいつも「楽しくない」の気持ちであった。理由は簡単、うまくできていなかったのだから。
本当の自分は「できる自分」。
思い上がりも甚だしくて恥ずかしいのだが、私は自分自身を「そこそこうまく歌える人間」だと思っていた。
中学生の頃から家で毎日歌の練習を重ねてきて、思い通りに歌えるようになりつつあったことに少なからず自信は持っていた。理想とするシンガーのレベルに近付けていると、自分では認識していたのである。
なのに、人目があるところで歌うといつも思うように喉が使えないし、緊張が治らなくて必ず納得いかない仕上がりになる。いつまでも人前に慣れなくて、いつまでもうまくできない。そんな自分を信じたくなかったし、許せなかった。
うまく歌えるという事実を持っている以上、私はいくら失敗しても「本当はできるのに」と頑なに思っていた。
できるのにできないなんて嘘だ・・・。
この思い込みのせいで、失敗する現実を認められず、うまくいかない原因と向き合うこともできなかった。そもそも家で歌うのと外で歌うのは違う、違うから同じような結果を出せないのだと、冷静に考えればわかることだったのではないだろうか。
まず、家と外では歌う声の大きさが変わる。家では家族や近所の迷惑にならない限界のボリュームに収めるが、部活での練習やカラオケでは出せるだけ出す。家では何の問題もないのに、大きな声で歌うと決まって高めの音が出しにくくなる。
それに環境にも違いがあり、誰もいない気楽な空間なのか、人目に触れて緊張感のある空間なのかという気持ちの面での差もある。悩まされていた、緊張による声の震えは人目がある場合特有のものだった。
私は、家でうまく歌えるというだけで外でも歌える気でいたが、大きな間違いであった。私が持っていたのは、「抑えた声量で、かつ一人きりのリラックスした状態でうまく歌える技術」でしかない。
けっして、「大きな声でも同じように喉を使いこなし、緊張に負けず歌える技術」ではなかった。混同すべきでない、まったく別物のスキルだったのだ。
うまくいかないのなら、その原因を探って解決するためにもうまくいかない現実を認めるべきであった。嘆いて落ち込むことが改善にはつながらない。
そこに気付かなかった私は失敗のたびに自分を嫌いになり、将来に絶望し、自信をなくして歌うことが苦になっていく負のループにはまってしまっていた。
本当はできるのだから、できないはずはない。でも現実は違う。なぜかいつもうまくできない。
できない所ばかり見られて、みんなの目にはできない私が映っている。恥ずかしい。いつも通りに歌えばいいだけなのにどうしてこうなるの、どうしてこんなこともできないの、どうして私はこんなに駄目なの・・・
そう自分を責めるばかりだった。
うまさに囚われなくていいはずだった…?
こんなはずではなかった、どうしてこうなった。こんなに追い詰められて苦しくなるなんて予想外だ。この部活での訓練は、もう少しイージーだと思っていたのに―――
入部してから1年が経つ頃、精神的に疲れ切ってよくそんなことを思っていた。
実を言うと、ジャズ研究部入部の決め手となった理由の一つに、あまり音楽の上級者がいないという点があった。
部員たちがプロ顔負けの人たちばかりでは練習についていけず、迷惑がられて挫折してしまうような気がしたからである。自分も音楽の道を目指していたとはいえ、人と演奏を共にすることは初めてだったため、自分がどう見られるか心配で怖かった。
みんな凄い人たちだったらどうしよう、自分が入って足手まといにならないだろうかと不安に思っていた。けれど初めて見学に行った1年生のとき、極端にすごいと思った人は、間もなく卒業するという4年生のドラム担当の女子ただ一人を除いて、特にはいなかった。
ここなら自分のレベルでもついていけそう、劣等感を抱いてつらくなることもなさそうだと安心したものだった。
良くない言い方になってしまうが、楽に欲しいものが得られる環境だと思った。自尊心を傷つけられることなく、低リスクで将来に必要なスキルを入手できそうだと。
プロを目指すなら、レベルが高い人と共に練習できる環境に身を置く方が絶対に良いのだが、できない自分を思い知らされると心が折れて続けられなくなるかもしれない。
多少は物足りなさを感じても、まずは甘い環境を選びたかった。
甘えるなと言わんばかりの試練。
しかし、入部した数か月後にその気楽さが覆される。学年が上がってすぐ、多忙で不在だった先輩が部に戻ってきて(第九話参照)、あまりのハイレベルさに圧倒され、この1年間は高いレベルの音楽を求められることになるのだろうと気が重くなってしまった。
彼が部員たちの演奏を隠れて録音したものを再生して聴かせ、「これはひどい」と酷評し、お通夜のような重い空気が流れて一同沈んだまま練習を終えた日もある。
さらに時々、他大学から同じくハイレベルな音楽仲間を連れてきては全体練習に加勢させて、力の差を学ばせるような日もあった。
実力のある人たちとの演奏は貴重な経験になる、むしろとても良い機会ではあったのだが、まだレベルが高いことをしたいわけではなかった私は、自信を失わされるその機会が苦痛だった。
ついていけないから他所でやって。あなた方の期待に添えるようなことはできないから。そう後ろ向きになるばかり。
彼も彼の仲間も、来るな来るなと思いながらいつも怯え、来れば「ああこれから地獄の時間が始まる・・・」と毎回暗い気持ちで練習に臨んでいた。失敗が許されないような空気が常に重荷だった。
もっと力を抜いてやれるメンバーだけでいいのに、と心で弱音を吐きながら。
もう、やりたくない気がする。
しだいに私は、歌いたい気持ちを失い、嫌々ながら歌うようになっていった。歌うたびに自分の駄目さを思い知らされ、意気消沈していた。
今日もまた駄目な歌を聴かれに練習へ行かなきゃいけないのか。今日こそはうまくいくと思いたいけれど、どうせまた失敗して恥をかくような気がする。憂鬱だ―――
そんな、ネガティヴな思考にしかならない。つらい思いをしてまで本当は歌いたくない。
(でもこれはやらなきゃいけないことだから、自分一人の夢じゃないから、どんなにつらくても耐えないと・・・)
人前で歌うことに慣れておかないと夢は叶えられない。人前に出る環境に身を置くことは、どんなに嫌でも必要なのだ。
やりたくないけど、やらなきゃいけないから仕方なくやる。
やりたいことだったはずなのに、知らないうちに根底にある気持ちは「やりたくない」に変わっていた。
「やりたい」の原動力となる「楽しい」が、どこにもなくなっていた。
楽しむ、とは。
ハイレベルで怖かった例の先輩男子の卒業間近になったある日、その先輩とのなんでもないメールのやりとりの流れで電話がかかってきた。
恐れていたわりに彼とは、まあいろいろあって毎日のようにメールをしたり、時々長電話をしたりする程度の仲になっていた(詳細は割愛するが特に面白いネタではない)。
しばらく雑談して部活の話題になったとき、彼からこんなことを訊かれた。
「音楽をやっていて楽しいかい?音を楽しむのが音楽だってわかってる?」
知らない言語でも聞いたかのように、理解に時間がかかった。衝撃の問いだった。
いま何を訊かれた?
楽しい?
あんな厳しいやり方をしておいて、楽しいかと訊く?
楽しむことなんて許さないような雰囲気だったのに。
あなたから、「楽しい」という言葉を聞くなんて。
信じられない。
楽しんでよかったの?
苦しまなくて良かったの?
もしかして、私が何か間違えていたってこと?
歌っていて私は、楽しかった?
私がやってきたことは、楽しむためのものだった?
楽しめる考え方だった?
私は・・・
「楽しくありませんでした」
答えた瞬間、涙がどっと溢れ出して止まらなくなった。心の底から、本当の気持ちが押し寄せる。自分自身で、どこにも吐き出すことを許さなかった、心の悲鳴たち。
楽しくなかった。大好きな歌が楽しくなかった。嫌いになった。もっと楽しく歌いたかった。でも楽しむ資格なんてなかった。ひどい歌しか歌えない自分が許せなくていつも嫌だった。プロを目指すのにこの程度の力だなんてふざけていると思った。もう聴かれたくなかった。誰の前でも歌いたくなかった。投げ出したかった。けど夢は変わらない。やめるわけにはいかなかった。やりたくなくてもやらなきゃいけない。このつらさが夢につながるのなら、耐え抜かないといけない。なのに、耐えられなくなりそうだった。なんでこんなに苦しくなきゃいけないのと思った。
大好きなのに、楽しめなくて、すごくつらくて、苦しくて、悲しかった・・・
好きだから、楽しいから歌いたくて、歌ってきた。歌が日常に加わって、はじめは楽しくて仕方なかったのに。
夢ができて理想の自分を思い描き、そうならなくてはいけないという義務感が生まれた。「人前でうまく歌える自分になること」だ。
私を追い詰めていたのは他人ではなく、紛れもない自分。私自身が創り出した、この理想像だった。
あの初セッションや初ステージを思い出す。うまくはできなかったけど、バンドの一員として音楽を奏で、作り上げるのがただただ楽しかった。
楽しかったはずなのに、うまくできない自分が悔しくて、好きなことを楽しめる幸せを完全に忘れ去っていた。うまくできもしないくせに楽しんではいけないと、無意識に自分をつらい状況に縛りつけて。
いつからか私が歌う目的は「人前でうまく歌えるようになって自分に納得すること」になっていた。
こんな自己満足が、他にあるだろうか。
楽しむ意味は、「好き」の証明。
楽しむように言われていたのは、楽しんでいないことが伝わって、見る人に心配させていたから。やりたくてやっていることなのに楽しんでいないのはおかしいから。
楽しそうにしていて当たり前でなくてはいけない。人前に出たらまず果たすべき義務、それが「楽しむこと」であった。
うまくやることに縛られて、でもうまくできなくて、楽しくなかった。
できない自分を人目にさらすのが怖くて、楽しくなかった。
同情のように浴びせられる褒め言葉も嫌だった。駄目なものを軽々しく褒めるなとさえ思っていた。
もっと楽しみなよ―――
それは、うまい下手以前に、自分を苦しめるやり方がそもそも間違っているという助言だったのだろう。
楽しさがなければやりたいとも思えない。叶えたい夢は、大好きで楽しいものだったのに。
「君は本当、真面目っていうか馬鹿っていうか・・・」
呆れたような、でもどこか優しい彼の声を聞きながら、電話を放置して私はしばらく泣き続けた。
楽しんでよかったなんて。
もっと早く知りたかった。
楽しんでいいんだ。楽しく歌ってよかったんだ。
見失っていた本心と久しぶりの再会を果たして、自分を縛るものから解放される気がした。
もともと楽しくて始めた大好きなことを、
本当は、いつだって
楽しみたかった。